Island of God 南洋に浮かぶ楽園バリ島。 この島は、しばし、『神々の島』と称される。 世界中から巨大な資本の波が押し寄せる中、絶え間なく変化し続ける島。 だが、たとえどんなに変化しても、“バリがバリらしく”有り続けられるのは、 この島に『宗教』が生きているからだと思う。 ようするに、“人々が神様を信じて、それに伴う風習や芸能を守りつつ、 文化として自覚しながら、日々暮らしている島”というわけだ。 『神々の島』…。 実際、それは文字にすると、ただの観光用の良く出来たキャッチ・フレーズの ように感じられる。だけど、よくよく考えたら凄いことだと思う。 だって、今時よっぽど隔離された世界じゃない限り、地球上どこを探しても、 もうそんな島は存在していないのだから…。
バリ島では、島民のほとんどはヒンドゥー教徒である。 イスラム教で占められてるインドネシアの中で、ヒンドゥーが追いやられて 出来上がった島なので、独立国ぐらい周囲の島とは異質だ。 左手は不浄なものといった考え方や、マンディー(沐浴)の習慣、 最近はゆるくなったものの一応カースト制度などもあるが、インドのそれとは別物。 派手でケバケバしい神様総アイドル化といった感のインドのヒンドゥー教に対して、 バリ島のヒンドゥー教は神々の像はなく、仏教のエッセンスを取り入れた自然崇拝 に近い、別名ソフト・ヒンドゥーとも呼ばれる独自のものである。 山は聖なるもの。海は魔女の住む場所。どちらも平等に敬う。 神話も、バロン(聖獣)とランダ(魔女)が対立しながらも共存し続けていくという ストーリー。この島の『宗教』では「善」と「悪」、「光」と「闇」、「神」と「悪霊」、 それぞれがバランス良く、それぞれの世界で暮らしてこそ真の平和が保たれる と信じられている。バリ人の独特のバランス感覚も、この「宗教観」によるものが 大きいのかもしれない。 バリ島に来て、『宗教』に触れずいることは難しい。 なぜなら、それは常に“視界の中”に存在しているからだ。 道端に置かれた「チャナン」や、至るところにある祠、そこで線香をあげて祈る人、 祭り用の衣装を着てバイクで走っていく若者、ガボガン(果物をつみあげたもの)を 頭に乗せて色とりどりの服を着た女性達の長蛇のお祭りの列…。 それらは別に観光用に行われているのではなく、バリ人の日常的な生活に 密着したものなので、たとえ数日間の滞在でも必ず目についてしまう。 私はバリ島の『宗教』の入り方が好きだ。島中に散らばる“神様グッズ”。 そこに集う人々。それらはあくまで自然な形で自分の深い部分に触れてくる。 ある1日の中で見た風景を書いてみよう。
(お供えもの)が置かれている。 これを見るたびに、思わず、 “あ〜ここはバリなのだなぁ…。” と感じてしまう。 この島を訪れたことがある人なら、 一度は誰しもが目にするもの。 すべてのものには精霊が宿ると 信じているバリ人は、毎朝の日課として、 家の中にある祠は勿論のこと、村の祠、 玄関や店先、門、台所、井戸、あるいは 車の中に至るまで、あらゆる場所に「チャナン」を供えてお祈りをする。 これが1日の始まり。 だから、家の中でも、街中でも、海辺でも、バリ島にいる間中、どこかしらで 誰かが捧げた「チャナン」を見かけることとなる。 お昼に波乗りから帰ってくると、台所で、スタッフの女の子達がしゃがんで なにやら作っていた。“何をしてるんだろう?”と思って覗いてみると、 なんと、「チャナン」を作っているのだった。
バナナの葉をハサミで適当な大きさに切って、器用に箱を作っていく。 出来た箱の中には、ヤシの葉の飾り、花や米粒や塩などが入っている。 要所要所をホチキスで止めているのを見ると、近年は文明の利器もかなり 取り入れられているのがわかって興味深い。 「チャナン」は本来、各家庭の女性が毎日手作りするもので作り置きはしない。 ただし、都市部では朝市やスーパーなどで、すでに作ったものを買えるので、 最近では、お手軽に買う人もいるとのこと。いろんなデザインと種類があって 見比べると面白い。儀式によって形も決まっている。 ボーっと眺めている間に、女の子達は、テキパキといくつもの「チャナン」を 作っていった。これは午後のお祈りに使うつもりらしい。
店先に置く関係上、店が多い歩道などは、当然至るところに置いてある。 これを踏まないように歩くのも一苦労だ(一応踏んではいけないことになっている)。 時が経つにつれ、やがて乾燥してボロボロになっていき、犬や鶏に食べられたり、 蹴散らされていく運命にあり、夕方には箒で掃かれてゴミ箱にポイッと捨てられる。 そうして翌朝には、再び新しい「チャナン」が捧げられるのだ。 長い間続けられてきた、儚くも美しい習慣…。 そんなことを考えながらウトウト昼寝をしていたら、遠くでガムランと太鼓の音が 聞こえてくる。耳を澄ましていると、その音は段々、こちらに近づいてくるようだ。 「あっ、お葬式だっ!」と、思わず飛び起き外に出る。 普段はあまり見ることの少なく、現地で「葬式見学ツアー」なるものが存在していたり するお葬式だが、実は、この家の前の通りは「Jl. Pantaikarang(珊瑚海岸通り)」。 バリ島のお葬式は、死んだら海辺で火葬して灰を海に流す習慣がある。 だからここは、近辺の村人で亡くなった方が最後に必ず通る神聖な通りで、 別名「葬式通り」とも呼ばれているのだ。大抵、週に1回は目にする風景である。
お葬式用の正装(大抵暗めの黒い服)に身を包んだ村人が、行列になって 歩いていく。最初に供物を頭に乗せた女の人、そしてガムランの楽隊、 「バデ」と呼ばれる棺の入った火葬塔を担ぐ男達…。 通常、お金持ちや有力者であるほど列が長くなるみたいだ。 お葬式にはかなりのお金がかかる。僧侶や王様階級は死んだらすぐに 適した日にお葬式を出さねばならないし、またそれも可能だが、普通のバリニーズ にとっては大変な負担。ほとんどの家庭では、死んだら一旦、土に埋め、 費用ができてからお葬式を行う。それでも大変な時は、何軒かで費用を出し合い 集団でお葬式を行う場合もあるという。 バリ・ヒンドゥーでは、「リ・インカネーション(転生)」が信じられている。 だからお葬式と言っても、日本とは随分趣が異なり、涙や暗い雰囲気はなく、 参加する人々も平然としているし、まるでお祭りのような明るさだ。
行列はそのまま海に向かう。後を追ってビーチに行くと、遺体はすでに火葬塔から 降ろされて、「ランブー」と呼ばれる竹で出来た牛の中に納まっていた。 祈りがあげられ、聖水がまかれ、線香があげられる。 最後に親族が供物を捧げると、おもむろにガスバーナーで火がつけられる。 みるみる燃えていく遺体…。 子供はその辺を走りまわり、村人達は笑顔で会話している。 そんな風景を眺めていると、つい日本の辛気臭い葬儀を思い出してしまう。 故人の生前の思い出に涙する、という感性は無論理解できるし、また、自分が いざその場にいたら当然そういう気持ちになってしまうに違いない。 しかし、ここでは「死」が当たり前に受け入れられているのだ! “人間は生まれて、そして死ぬ。” 本来、「生」と「死」は同様のもの。 「死」をまがまがしいものとして目をそらすのではなく、素直に受け入れることが 出来る彼らの死生観の方が、より自然に感じられるのは私だけだろうか?
お祭り用の正装をした人々を たくさん見かける。 前に子供、後ろに奥さんを乗せて バイクでひた走る男性。 よ〜く見ると1台2台ではなく どんどんやって来る。 そういえば、今日は満月。 どこかでオダランでもやって いるのだろう。 この島には全体で2万〜3万もの数の お寺があり、各お寺はバリ暦(210日)に1回、 「オダラン(寺院の創立記念日)」というお祭り行う。 その他、暦に従った「ガルンガン」「クニンガン」「ニュピ」などの大きな祭事、 そして勿論、各家のお祭りと、島では毎日どこかしらでお祭りが行われている計算 になる。まさに、バリ人はお祭りまみれの人生を送っているのだ。 バリ人の暮らしは、基本的に村の中にある。 「チャンディ・プルタル」という聖なる山をモチーフにした、シンメトリーの門、 その中には「バンジャール」と呼ばれる村落共同体があり、主に祭事を中心に、 村がまとまり、人々は互いに助け合って生きている。 このバンジャールを抜きにして、バリ人の生活は成り立たない。 家の近所のバンジャールで、夜ガムランの発表会をやっていると聞いて、 覗きに行ってみる。
集会所の周りにはすでに黒山の人だかり。 この村には、女性だけの珍しいガムラン楽団があり(通常は男性)、 今夜はその楽団初の発表会ということであった。 司会のおばさんの挨拶が終わると、すぐに演奏が始まった。 最初はゆっくりと、そして次第に力強く…。思いがけず上手い。 集会所に集まっている人は、皆、同じ村の人。家族や親戚や近所の人々だ。 子供からおじいちゃんまで、ガムランの官能的な響きに聞き入っている。 その風景は、なんだか遠い昔の日本の村のようなとても懐かしい感じがする。 ガムランの途中にはバリス、レゴンなどの踊りが入って、場が一層盛り上がる。 これらのミュージシャンやダンサー達は、別にそれを生業としているのではなく、 普段は農作業をしたり、勤めに出ている、ごく普通の人々だ。 バリ島では昔から、『神様』と『芸能&芸術』は切っても切れない関係にある。 “日々の生活を送れるのは神の恵み”という信仰心の中で、それを音楽演奏や 踊り、木彫りや絵画など、“表現する”ことで、『神様』にお返しするという考え方が ベースとなって、現代まで引き継がれ発展しているのだ。 「観光」という産業の後押しがあるにせよ、私にはこれは1つの奇跡のように思える。 これはつまり、日本でいうと、“木と紙で出来た家に住み、家の中には仏壇があり、 毎日お供えものを捧げていて、祭事には着物をきてお寺にいく。お琴や琵琶を ごく当たり前のように弾ける人や、日本舞踊が踊れる人、詩吟が歌えて、 凧や駒やタンスくらい簡単に作れる人がたくさんいる…。”そんな感じに近い。 この島には、日本がチョンマゲを切って以来、捨て続けてきたものが未だにたくさん 残っているのだ。日本もこうだったらさぞかしカッコよかったのではなかろうか…? ついついそんなことを考えさせられてしまう。
かっ飛んでいく人発見! やはりオダランに向かう人だ。 どうせなら観にいくか?と そのまま寺院に向かう。 ちょっと迷って、ウロウロするものの 正装した人の流れを追っていくと ようやくお目当ての寺院が見つかった。 女性はクバヤ(レースのブラウス)に スレンダン(帯)、サロン(カインともいう腰布)の 3点セットを、男性は白い上着にカインと カイン・クニン(黄色い布)、ウダン(帽子)を 身につけて正装している。このバリの正装、 絵図らとして綺麗な格好だと思う。 女性達は供物を頭に乗せ器用に歩いていく。寺院の中は人・人・人! 満月の空の下。人々は自分達の収穫を寺院に運び、『神様』の恵みに感謝する。 彼らは「祈り」という形で『神々』の神聖さを表現するのだ。 深夜になっても人の流れは絶えない。 いろんなことが起きているこの地球上で、なんと平和な風景だろう。 寺院に吸い込まれる人々の流れを見詰めながら、そんなことを感じたのだった。
1日の中で、『宗教』に関する視覚を日常の中で、これくらい見れるというのも 凄いことだ。溢れる日中の「光」と真っ暗な夜の「闇」。ここには精神世界や怪しさ、 摩訶不思議な世界にどっぷりつかることも可能なシチュエーションが存在している。 本気になったら、かなりディープな世界に触れられることだろう。 私自身は無神論者だし、『宗教』に詳しいわけではないので、それに関しては あまり多くを語る資格はないのだが、独断と偏見で言わせてもらうと、 日本の『宗教』は、なにか堅苦しくて恐れ多いという印象がある。 一旦、戦争で負けて信じるものを見失ったせいなのかもしれないが、やけに ものものしく装ってる感じがして近寄りがたい。 その他多々ある様々な『宗教』も、犠牲的精神で多分にナルシスト的だったり、 厳しい戒律と制御の力で人間のサガを克服する!といった要素が感じられて ちょっと辛いものがある。厳しい自然のや社会状況の中で生まれた信仰 というのは、どうしてもそういう要素が含まれるものなのだろう。 かといって新興宗教の類も、結局、最初にまず何か暗い発想(このままだと 地球が滅亡するとか)や暗い出来事がきっかけになって、神に救われたい or すがりたいというのが多いような気がして、現実逃避的でうさんくさい。 流行の宇宙人系もいいけど、私は結局、素敵な地球人の方が好き(笑)。 でも正直言って、もし、『神様』というものを信じるとしたら、 ごく普通に幸せな時に信じられるものが『神様』であって欲しいと思うのだ。 だから、バリ人がごく日常的に、皆が当たり前に信仰心を持っているというのが すごく羨ましい。内容も、自然崇拝と先祖供養。単純でシンプルだ。 祭りの度、儀式の度に、きちんと服を着替えてるというのも素敵。 貧しい場所、自然が厳しい場所では、比較的『宗教』を大事に生活していることが 多いが、バリ島は食は自給自足が可能な豊かな島だし、気候も一年中暖かい。 人間も動物も植物もうまくバランスをとって住み分けられている。やさしい島だ。 もし、地球をず〜っと俯瞰して見ることが出来るなら、 島のどこかで常に「神様ごと」をやっているバリ島を、『神々の島』以外の どんな言葉で表せるというのだろう。 『神々の島バリ島』…。 この島は確かに、“神様と愛し合ってる島”である。 |