番外編 『2005年海南島への旅 (2) 』 2005年1月 1月8日。 朝食会場に行くと、出てきたのは、朝粥とザーサイ、肉まんと蒸し饅頭、チマキ。 どうやら毎日このメニューらしい。 天気は曇りで肌寒い。 常夏モードで来た為に夏使用の服しかなく、しかたなく行きで着てきたフリース を引っ張り出す。よもやこれを着るとは思わなかった。 アキヤンに至っては、スーツケースにしまいこんだダウンジャケットを出す始末。 以後、奴は滞在中ずっとこれを着ていた(笑)。 昨日は一晩中風が吹いていたし、波が期待できそうだ。 早速「やわらかレフト」に向かう。
サイズは胸〜肩。たまにセットで頭くらいか…。 海には日本人が他に7人入っている。別のツアーで来ているみたいだ。 とりあえず入ってみる。 確かに波はメローで乗りやすい。サイズがあったらもっと面白いのかも。 皆それぞれいい波に乗っていた。 私は… 今回アキヤンボードを借りてきているのだけどうまく乗れず苦戦。 そもそも久々の波乗りで体が思うように動かない。いやぁ〜恐ろしい。 その後「亀ロック」近くの屋台で「焼きソバ」「ラーメン」を作ってもらい昼食。 そのまま午後は、「亀ロック」に移動して入ることに…。
お腹が膨れて眠くなったジャンボさん、アキヤン、私の3人は車の中で仮眠。 盛田と土居野は海へ。 しばらくしてフッと目覚めるとジャンボさんはいない。 どうやら先に入ってしまったらしい。急いで起きて海に向かうと…、 頭くらいの波がブレイクしていた!!
「亀ロック」は、グーフィーのポイントが多い海南島には珍しくレギュラーの波だ。 皆喜んで乗っている!特に盛田は沖からガンガンいい波に乗りまくり! ようやく波に当たった喜びで、一同、大いに盛り上がる。 そうして思う存分波乗りを堪能したのであった。 夜はホテル内のレストランで食事。紹興酒を熱燗で頂く。 いい波に乗ると一日がハッピーになるから不思議だ。一同の顔に笑顔が広がる。 食事中も風がビュービュー吹く音が耳につく。 明日の波も凄いんじゃないの〜〜?!
1月9日。天気は曇り。 朝食メニューはまたしても、 朝粥とザーサイ、肉まんと蒸し饅頭、 そしてチマキ・・・。う〜〜む。 一同、明日は違うレストランで 洋食ビュッフェにしようと誓う。 ホテル出発して、 まずは「やわらかレフト」に向かう。
セットで頭くらいか(?)、人も少なくいい感じ。 海に入っている間に、一瞬晴れ間が広がってきた! 初めての青空だ! う・れ・し・い〜〜〜! やっぱこうでなくっちゃ。 晴れると日差しは暑い。『海南島』の夏は死ぬほど暑い!と聞いていたのが ようやく想像できた。なんでも夏場は40度くらいになるとのこと。 寒いよりいいじゃないか?と思うが、残念ながら夏場は波が無いらしい。 そのジンクス通り、晴れてきたら波のサイズは落ちていった。 海から上がって昼食。例の廃墟ビルの奥の海鮮レストランへ。 油ギッシュな食事にも飽きてきた。相変わらず量は多くお腹は一杯に…。 もう、絶対太る!! 午後は「14番」と呼ばれるゴルフ場の前のポイントをチェック。波はイマイチ。 どうやらどこも波が無さそうだということで、再び「やわらかレフト」へ。
残念ながら波のサイズは落ちていた。それでも青空が広がって気持ちいい。 ジャンボさんはオイルを塗っていきなり日焼けタイムに入っていた。 うちらもゴロゴロ。盛田、土居野の若者チームは再び海へ。
夕方、ホテルに戻って一休み。 このホテルの前にはしょぼい小さな雑貨屋 があり、水やビールの飲み物や、ちょっと したスナック類などが売られている。 最低限度必要な物はそこで買う。 滞在しているホテルの中には、 テニスコートや映画館もあるのだが、 お世辞にも洒落てるとは言いがたく、 しばらく滞在すると、日本や他のリゾート地のようなサービスを期待しても 無理だということがわかってきた。大体フロントですらほとんど英語通じないし。
ホテルのバー・カウンターにも酒は飾ってあるが、その酒はオーダーしても飲めない。 ちなみに一度ジン・トニックを注文したが、ウェイターは作り方を知らなかった。 棚に置いてある酒は、どうやら本当に飾りらしい(笑)。 夜は近くの町へ食事に出かける。 『海南島』は海鮮で有名で、本土から食べに来る人も多い。 今回の食事も、基本的に生け簀のある海鮮レストランが多かった。 円卓には、見た事のない魚介類が並ぶ。もちろん巨大な量である。 食事の後、その辺をブラブラしてみた。
フルーツや魚介の屋台が立ち並び、なにやら楽しいムード。 円卓中華に飽きてきた我々としては、こういうところで、 ビールとつまみで食べてみたいと思ってしまった。 ここにある店自体、もう全〜然大したもんは売ってないのだが、 人がいて活気がある所に来たのが久しぶりなので、ついうれしくなる。 ブラブラ、ショッピングしながらしばしうろついた。 とにかくホテルに戻ると、辺りには何もないので、部屋で飲むしかない。 毎夜毎夜、部屋に集まり飲み会で終わることとなる。 この日は“波乱万丈ジャンボ物語”で盛り上がった(笑)。 1月10日。 洋食ビュッフェ、追加料金を払わされたにもかかわらず内容イマイチ。 明日の朝食はバナナにしようと、皆すみやかに決断する。 午前中は「やわらかレフト」へ。 波は最初は結構いいセットが入ってきてたが、徐々に膝腰にサイズダウン。 そんでもって、ここに来て、私は今までの暴飲暴食がたたり腹イタになってしまった。 亀ロック側の屋台の食事にも、口がつけられず。この日は休養することに。 午後「亀ロック」に望みをかけて移動するが、サイズはあるものの コンディションはジャンク。それでもここが気に入った様子の盛田、土居野は 果敢にも入っていった。地元の少年が不思議そうにジーッと見つめているのが 印象的だった。 |
盛田。 |
土居野。 |
いい波乗れた? |
その後、ゴルフ場に移動して、「14番」の手前にある「カニロック」に入る。 波のサイズは腰くらいだが、入ってるのは4人だけ。 徐々に日が落ちてきて夕日を見ながら波乗り。いい感じだ。 |
ここに車をとめて…。 |
ビーチを歩いて岬の先まで。 |
「カニロック」 |
ここのビーチには綺麗な貝殻が一杯落ちている。 思わず貝殻拾いにハマって歩いていたら、ビーチ沿いの岩に漁師のおじさんが 座ってるのが目に入った。おじさんは微動だにせずに波乗りする4人を ただただ見つめていた。きっとサーフィンが珍しかったのだろう。 そんな姿を見てると、ここはやはり1つのパラダイスなのかもしれないと思う。 夜はホテルで夕食。 土居野が「醤油」を頼もうと、ウェイトレスとの会話に一苦労。 今時「ソーイソース」という英語が通じない所も珍しいが、ここは本当に通じない。 しばらくしてニコッと笑ったかと思うと、「お皿」持ってきたりして。 ほとんどギャクである。 筆談から絵コンテになり、最終的にこれで通じたはず と思ってたら、持って来たのは「タバスコ」だった。惜しい!(笑) 中国語のバーは高い。 行く前までは、所詮、漢字の世界だから、韓国語よりは楽だろう、などと 思っていたが、いやはや…。同じ漢字でも微妙に読めそうで読めない… (笑)。 一応、成田で中国語の本を買って持ってはきたが、そのまま読んでも通じないし。 どうやら発音のイントネーションが違うらしい。耳で覚えようにもなかなか 頭に入ってこず、結局憶えられたのは「トンダ・ピジョ〜(冷たいビール)」 だけであった。
1月11日。波乗り最終日。 午前中は、「牛鈴(ニューリン)」に入る。 サイズが上がっても、マシーンブレークの様に綺麗に崩れるというここの波は、 米川さん曰く、ロング向きだそうだ。 入っていくのに草むらの崖を降りていくので、ロングは一苦労。 皆で手分けしてボードを運び、下まで降りる。 苦労して降りた途端にサイズダウン。波は膝波に…。
「亀ロック」に移動する。 「亀ロック」の波は腰ぐらいだが、 面は荒れてグシャグシャ。 イマイチの波だがこの後は移動で これが中国最後の波乗りだ。 一同迷わず入る。
海から上がって、屋台でバナナとビールを買うと、そのまま海口へと車で移動。 最終日は海口で一泊するのだ。着いた時に通ってきたはずなのに、 日中移動してみて初めて、自分達が今までどんなに田舎にいたのかがわかる。 海口は高層ビルが立ち並ぶちゃんとした
街を行き交う車の運転は荒い。 免許制度がテキトーなのか(?) ルールもへったくれもない ちょっとした無法地帯である。 横断歩道にはなぜか信号がないし、 そもそも歩行者は横断歩道を歩かない。 車がビュンビュン走る道を、 平然と横断していくのだ! 車のスピードも早いので、傍で見てると、危ないことこの上ないのだが、 住民には1つのリズムが成り立ってるらしく、皆、思い思いのリズムで勝手に 行き来している。恐るべし、中国!
「海南島」一の大都市海口は、さすが商業の中心地だけあって、 「マック」もあれば「クラブ」もある。女の子もオシャレだし綺麗だ。 念願のマッサージを体験したり、買い物したりと、ちょっと街を探索してみる。
なんと!めちゃくちゃ美味い!しかも安〜〜い! みるみる間に店は満席に…。 どうやら地元民の人気の食堂らしい。 混んでる店は美味いというのは万国共通 の常識だ。 ローカルフードを堪能した後、ホテル周りを ブラブラ。でも正直言って、物質天国日本 から来た我々には、さして珍しいものも 買うものもないんだよなぁ。 ちょっとだけナイトクラブを覗いてホテルに戻って就寝。
あっという間に帰国日だ。 見知らぬ国の見知らぬ文化。 新しい世界を体感するのは面白い。 しかし、1週間やそこらで その土地を正確に把握するのは なかなか難しいもんである。 そもそも常夏のイメージで来たため、 当てが外れたのも辛い。 波は当たった日もあれば、外れた日もあり、短い期間としてはこんなもんだろう。 自分達で運転してポイントを回れればまた事情も違うかもしれない。 「波」 はメローだし、探せばまだまだたくさんポイントもありそうだ。 でも何より、気の会う仲間と同じ時間を共有出来たのが楽しかった。 旅は 「どこに行くか?」 と同じくらい 「誰と行くか?」 が大事である。 2005年の初乗りは中国の波で始まった。 |