THE EDDIE 1978年3月16日。エディは海に消えた…。 太古の時代、タヒチからハワイへと、地図も持たず、星だけをたよりにカヌーで航海して渡ってきたポリネシアン達。 その先祖達に敬意を称して行われる、“ホクレア号航海”。(伝統的なカヌーを再現してポリネシアンスタイルで航海すること) 伝説的なサーファー、エディ・アイカウは、栄えある第二回ホクレア号の一員としてこれに参加する。 歴史的な航海中、カヌーはモロカイ島沖で嵐に会い、高波で浸水する。暗闇の中、沈み行くカヌー。 「このままでは全員死んでしまう。俺が助けを呼んでくる!」 エディは船に積んでいたサーフボードを抱え、荒れ狂う海に飛び込んだ。 そして全速力でラナイ島に向かってパドルを始める。乗組員も、エディならそれが出来るかもしれないと感じた。 なぜなら、彼以上に海の怖さを知り尽くした人間はいなかったからだ。 エディの姿は暗黒の嵐の海に乗組員を残したまま、見る間に消えて行った。 翌日、嵐が収まり、沈没していたカヌーに捕まっていた乗組員は救助隊に発見され全員助かることになる。 しかし、残念ながら、そこにエディの姿はなかった。懸命の捜索にもかかわらず、彼の肉体は見つからなかった。 このニュースは、当時ハワイ中の人々を悲しみに包んだのである。
EDDIE AIKAU (エディ・アイカウ) 1946年5月4日生まれ。享年33歳。 ワイメア・ビーチで生まれ育った彼は、 伝説のハワイのウォーターマン。 幼い頃から父に連れられ海へ。 1960年代〜70年代にはライフガード として活躍。数え切れないほどの人々の命を救った。 ワイメアの波が巨大な日にサーフィンしたことでも有名。 1967年、ワイメアに40フィート(約12メートル)の巨大な波が立った。 当時ノースショアには、多くの世界的に有名なサーファー達が滞在していたが、 誰一人として、その巨大な波に挑むものはいなかった。 そんな中で、名もない現地の青年が、さっと現れ海に入っていく。 その青年はワイメアの巨大な波を、恐怖を感じるのでもなく、まるでダンスでも しているかのごとく、華麗に乗りこなしていた。 その時、エディは21歳。以後、伝説のビッグウェイバー、エディ・アイカウの名は 世界中に知れ渡ることになる。 その後、エディはワイメアベイ初のライフセーバーとなり、多くの人々の命を救った。 その数は何百人にも及ぶと言われている。というのも、通常ライフセーバーは、救助したらそれを記録していくものだが、 エディはそれを善しとしなかった。したがって、その数は定かではない。 後年、それを見届けていたライフセーバー達の推薦により71年、“ウォーターマン”の 賞を受けているが、エディ自身は興味がなかったことではなかろうか? エディのサーフィンは、曲系的なハワイアンスタイルと言われた。 巨大な波の日にワクワクしながらワイメアベイに入っていくエディ。 後に、ハワイのサーファー達の間では、大きな波が来た時に合言葉のように、 「EDDIE WOULD GO ! (エディなら行くぜ!)」というフレーズが聞かれるようになっていった。 彼は、ライフセーバーとして多くの命を救いながら、その合い間に、地元の子供達に大きな波の乗り方を教えていた。 今では、その子供達が、世界的に有名なビッグウェイバーとなっている。 ホクレア号の悲劇と共に、エディ・アイカウは伝説の人となった。 最後まで、人を助けることに生涯を捧げたエディ・アイカウ。 彼の肉体は海に消えても、彼の精神と伝説は今もハワイの地に生き続けている。 [ THE EDDIE ] 「THE QUIKSILVER in memory of EDDIE AIKAU big wave invitational」。 1986年にスタート。通称「THE EDDIE」と呼ばれるサーフィンの大会。 エディ・アイカウに敬意を称して、年に1回ワイメアベイで開催されている。ビッグウェイブサーフィンとして有名。 毎年12月1日〜2月28日までがウエィティング期間。 20フィート以上の大波が来ないと開催されない為、過去16年間で4回しか開催されていない。今大会が5回目。 “最も大きな波に乗る”ことが勝つ条件。真に勇気あるものだけが参加できる。 詳しくはオフィシャルHPを参照。 http://www.quiksilver.com/ ワイキキに波はなく、ノースショアは波がデカくてグチャグチャ。 もはやオアフ島には用はなく、心は次の目的地オーストラリアへと向かっていたのだが、 その我々を引き止めていたもの。それが「 THE EDDIE 」である。 以前からこの大会の噂は聞いていて、運がよければ観れるかも??の期待はあった。 過去16年で4回しか開催されていないこの大会は、主催のGeorge Downing自ら、 「The Bay calls the day . (ベイがその日を決める)。」 と語るほどいつ開催されるかわからない大会だ。 なにせステージをセッティングしてくれるのはワイメアベイという自然なのだから…。 すでに1ヶ月以上のウェイティング期間が過ぎていた。 いろんな人に大会の情報を尋ねるがよくわからない。とりあえず毎日、天気予報やHPの波サイトでチェックだけはしていた。 そして、ほぼあきらめかけていたある日…ついにその日は来た!! 「おはようございます。起きてください。今日10時からエディが始まりますよ!」 サーフィショップ“SURF-N-SEA”で働くKAYOちゃんからの一本の電話。ありがとうKAYOちゃん! 「おーっ、大変だぁ〜!起きろ〜!!」 2人共、一目散に飛び起きてノースショアに向かう。1月7日月曜日。 パイナップル畑を越えると、ハレイワの海が見えてくる。 なにやらビーチに雲がかかっているようだ。しかし、近づくにつれ、それが雲ではなく、ショアブレイクによる波の水蒸気だということに気がつく…。 各ビーチ入り口には赤いテープが張り巡らされている。今日のノースショアの海はすべてクローズだ。
しびれを切らした人々が、その辺の 道路沿いに車を止めて歩き始めていた。 我々も、ワイメアベイのなるだけ近くまで 行って車を止め、歩き始めた。 丘をくだりはじめてワイメアベイが視界に入ってくる。 波の無い時のワイメアベイは、素晴らしく美しい静かなビーチである。しかし、今日は違う。 最初、丘の上から肉眼で見ても、波の大きさがわかりにくかった。全体の空間が大きすぎるのだ。 すでに大会は始まっていた。丘の上には大勢のギャラリー。 空にはヘリコプターが飛びまわり、海に数台のジェットスキーが見える。 望遠鏡を覗いてみる。 ようやく、人の大きさを視界で把握出来た時、その波の巨大さに驚いた。 20フィート〜30フィートの波が立っている! 大会の様子を肌で感じてみたい・・・・。会場であるワイメアベイに降りていく。 平日にもかかわらず、大勢の観客が押し寄せていた。 (TVでは約5000名と言っていた。)
クイックシルバーがスポンサーするこの大会は、エディの実の弟であるクライド・アイカウや ラス・K、デレク・ホーなどのハワイアンサーファーに、 ケリー・スレーター等の海外からの 招待選手を含む24名が参加した。 本来もっとエントリー数は多かったが、同じ日にマウイのJAWSで、「Towing World Cup」が 行われた為、重複していた選手も多数いたらしい。 トニー・レイなど午前中までマウイに滞在していていたが、朝、急に「 THE EDDIE 」の開催を知り、決断を迫られ、急遽オアフ島のノースショアに戻ってきた選手もいた。 我々は到着が遅れ、残念ながら有名なオープニングを見逃してしまった。 「 THE EDDIE 」は大会開催前に、まず、選手が全員レイをかけて海に入っていき、 そのまま手をつなぎ輪になる。 そしてレイをその輪の中心に投げて、 エディの魂に敬意を捧げることから始まるのだ。 まさに儀式のごとく、この大会はエディ・アイカウという偉大なサーファーに捧げる オマージュでもある。
大会はラウンド1とラウンド2に分かれ、各ヒート5名の選手が20フィート(ウェーブフェイス35〜40フィート)以上の波に、2ラウンドチャレンジする。 かなり過酷な戦いである。その中でベスト4ライディングのトータルスコアで優勝を争う。1ライディングの最高は100ポイント。 つまりトータルウェイブの最高は400ポイント満点となる。 インサイドの波が崩れる“ドーーン”という音。そこから流れ出るスープの巨大な量。 岸に叩きつけられた波は、水蒸気の粒となって空に上がっていく…。圧巻である。 遥か沖で繰り広げられてるにもかかわらず、そのスケールと迫力は、波の爆音と共に、岸で観ている我々に伝わってくる。 なんの動力も使わず、沖に向かって、パドルという自己の筋力のみで出て行く選手達。 押し寄せる巨大なセットの波…。フリーフォールのようなテイクオフ…。 ここは“世界一大きい波を乗りこなす”という、特別な才能をもったものだけに与えられるステージなのだ。 それゆえに、この大会で優勝するということは、サーフィンを愛するものにとって最高の栄誉にあたるのだろう。
今大会1の97ポイントの高得点は、モンスターセットを見事ものにしたローカルのジョン・ゴメス。 長時間の戦いの末、トータルポイント319ポイントで優勝したのはなんと!ケリー・スレーターであった!! 2位は317ポイントでトニー・レイ、3位は316ポイントのポール・ピーターソンと続く。まさに僅差の戦い。 大会後のインタビューでケリー・スレーターは、ハワイのローカルサーファーの名前を上げ、 それぞれに敬意を称した後、 自分がこの大会に優勝出来たことのとまどいを隠せない様だった。 想いもよらなかった勝利に驚いていることを述べると、少し呼吸をおいてこう語った。 「僕はこの大会を他の大会と比べることが出来ない。だってこれは、本当に稀にしか行われない歴史的な大会だ。僕の心の中では、この優勝は唯一のものだ…。」 ケリー・スレーターは言わずと知れた、すでに6度もワールドチャンピョンに輝く、 スーパースターである。 しかし、今日の「 THE EDDIE 」での優勝というビッグタイトルが、 彼にとって特別の意味を持つのは間違いないだろう。 ケリーのキャリアに、 “世界最高のビッグウェイバー”という項目が加わったのだ。 バスケットのM.ジョーダン並に、今後他のサーファーが、 ケリー・スレーターのキャリアを抜くことは難しくなったに違いない。 この日の夜のTVでは、各局がこぞって、大会の模様を放送していた。
第一回「Towing World Cup」が行われた。 トーイング・サーフィンである。 人間の力では到底乗ることが不可能な波に、 時速80qのハイスピードでジェットスキーに ロープで牽引されてピークまで行き、 モンスターな波に乗るというクレイジーな大会である。 死の恐怖をものともせず、参加した数は 2人1組で13組。優勝はブラジルの ギャレット・マクナマラだった。 1月7日はハワイ中が“SURF&SURF”であった。 「THE EDDIE」と「Towing World Cup」。 サーフィン関係者や、実際のプロサーファーの 中には賛否両論があるであろう。 つまり、どちらがサーフィンとしての在り方として 正しいのか…etc の問題だ。 マンパワーvsマシンパワーの違いこそあれ、 どちらも巨大な波にチャレンジしていくことは同じである。 私自身は、ただただ、人間が極限にチャレンジする姿に圧倒されるだけだ。 天国にいるエディは、きっと今日のハワイに起きた出来事を、 大喜びで眺めているような気がしてならない。 “世界で一番大きい波に乗る!!”。 人間がその欲望を持ち続ける限り、圧倒的なこの地球の波動である巨大な波の上で、 人は踊り続けると思う。 この日の夜、ふと考えた。 エディがもし、生きていたら、「Towing World Cup」の事をどう思うだろうか・・・・?? 誰よりも“大きい波”をこよなく愛した彼だもの。答えは決まってる! “EDDIE WOULD GO ! (エディなら行くぜ!)” |