Luis Barragan


Luis Barraganのことを知ったのは、ハワイで友人からもらった1冊の本からだった。
東京現代美術館で『ルイス・バラガン 静かなる革命展』なるものが開かれていたところをみると、
日本でもブームになっているのだろう。

旅の途中にメキシコ・シティに寄ることにしたのも、彼の作品である、
「Capilla de las Capuchinas(カプチーナス礼拝堂)」の写真に感銘を受けたからだ。
赤に近いピンク色の壁に囲まれた礼拝堂に祈りをささげる修道女の姿…。
光と影とが完璧に計算されたその建築物は、類まれな美意識にあふれていた。

Barraganの建築物の殆どはメキシコに存在している。
機会があれば、是非本物をこの目で見てみたいと思っていた矢先、タイミングよくメキシコ・シティに
寄ることになった。そうしてついに、夢の実現と相成ったわけである。

バラガン
「Luis Barragan」

建築家。
1902年メキシコ、グアダラハラで
大農園を経営する家に生まれる。
若いうちからヨーロッパを旅する機会に
恵まれ、メキシコに戻った後、
インターナショナル・スタイルと呼ばれる
モダン建築を数多く手がけた。
後半は土地開発から始めるディベロッパーと
しても活躍。
1988年没。享年86歳。


Barragan作品を観ようと興奮気味にメキシコ・シティ入りしたのはいいが、あいにくの雨。
光を意識した彼の建築物は、やはり晴れてる日に観たい。
しかし、ここ数日天気に恵まれず、延び延びになっていた。

彼が作った建築物は個人宅が多い。見学するには許可が必要だ。
場所によっては月1回しか観れないものもあったり、オーナーによっては許可をとるのが
難しい場合もある。写真撮影も予約の時点で確認が必要。

「エル・ペドレガルの高級住宅地」、「プリエト・ロペス邸」、「サテライト・タワー」、「ガルベス邸」、
「ラス・アルボレーダズの分譲地」、「ロス・クルペス分譲地」、「サン・クリストーバルの厩舎」
など
代表作は数あれど、今回の限られた日程の中、観れるものは限られている。
そんな中、運良く観れたのは、「カプチーナス礼拝堂」、「バラガン邸」、「ヒラルディ邸」、そして
「オルテガ邸」の4つの建築物であった。

まず最初に訪れたのは、「Capilla de las Capuchinas (カプチーナス礼拝堂)」
メキシコ・シティの南、トゥラルパン地区にある為、別名 『トゥラルパンの礼拝堂』 とも呼ばれている。
今回最も観たかった建築物だ。

前日の夜から興奮のあまりなかなか寝付けず、早朝6:00にはホテルを出発。
あたりはまだ真っ暗だ。目的地トゥラルパンまでは、本来、車で40〜50分かかるはずだが、
さすがに朝は道路もすいていて、約30分程で到着した。
勢い勇んで着いたがいいがドアは閉まっている。恐る恐るベルを鳴らすと、
1人のシスターが顔を出した。

前もって調べた時には予約はいらないと聞いていたが、シスターは予約が必要だという。
“礼拝堂”と言う名前から、てっきり教会のような公共のものかと思っていたら、
カプチン派の修道院だった。
それでも親切なシスターは、「9:30過ぎなら良いですよ。」 と見学を許可してくれた。

はやる気持ちを押さえながらも、約3時間余り、街をブラついたりお茶したりして時間をつぶす。
修道院のすぐ近所に学校があるらしく、まだ暗いうちから登校する子供達の姿が目につく。
時間が経ち明るくなるにつれ、街路には露店が出始め、出勤前の地元民で賑わい始める。
トルティーラの店も日本の豆腐屋のような感じで早朝から開いているし、
働くメキシコ人の姿や生活を垣間見れて興味深く、あっという間に時は過ぎていった。

カプチーナス修道院
カプチーナス修道院の外観。
きっかり9:30。再びベルを鳴らす。
街路沿いに建つ修道院は外観からは
宗教施設であることがわかりにくいほど、
ごく普通の石壁の建物だ。
覗き窓からシスターが顔を出してたかと
思うと、おもむろにドアが開いた。

薄暗い玄関ホールの先には明るい中庭が見える。
不思議なことに、一歩中に入った途端に、外の
喧騒は消えさり静寂な空間が広がっていく。
同時に、なんともいえない花の香りが鼻腔を
くすぐる。

教会
玄関ホール右脇にある
黄色い網状の壁。
右側には黄色い網状の壁。
前方には白壁の明るい中庭が見え、
壁にはツタがたれさがっている。
中庭にある水盤からはかすかな水音が
流れていて心地よく、水面には、
空の景色が反射して映っている。
正面の白壁には大きな十字架が
形どられていて目を惹く。

敬虔なカトリック信者でもあったBarraganは、
1952年、修道院の改装の依頼を受ける。
当時すでにディベロッパー&建築家として成功を
収めていた彼は、自分が費用を全額負担する
代わりに、好きなようにやらせてくれるよう
条件を出し、約8年もの歳月をかけ
この礼拝堂を造ったのだ。

荷物をあずけ、50ペソの心ばかりの寄付をすると、シスターが中に案内を始めてくれた。
言われるがままに後をついていき、礼拝堂に入っていく。
「ワッ・・・。」思わず声が出そうになって息を呑む。
その中には感動的な“光のアート”が展開されていた!

教会

礼拝堂の中。
左奥の十字架のに光が当たり、
影となって新たな十字架が現れる。

教会
美しいステンドグラス。

中には祈りを捧げる修道女がひとり。
礼拝堂の壁は全体が赤みがかったピンク&オレンジ色で、天井は思ったよりずっと高い。
正面には黄金色の祭壇があり、後方上にある黄色く塗られたガラスを通して、
光が時間と共に礼拝堂に差しこんでいく仕掛けになっている。
太陽が昇るにつれ次第に光は下がっていき、やがて黄金色の祭壇に当たって反射し、
礼拝堂の中は黄金色の光に包まれていく…。まさに至福の色だ。

左奥のステンドグラスも黄色く塗られていて、そこから差し込む光は赤く塗られた十字架に当たり、
その影は、もう一つの十字架となって、礼拝堂の中に姿を現す。
色と光と影とのコラポレーションは、“神に祈りを捧げる”にふさわしい。もう美しいの一言!

通常、修道院には質素で清廉なイメージがあるものだ。
勿論このカプチーナス礼拝堂もそうなのだが、赤ピンクの壁のせいか、はたまた光のマジックか?
“神に“祈りを捧げるという行為が、本来、人間にとってロマンチックな快楽である”
ということを感じてしまう。

しばらく礼拝堂でたたずんでいると、シスターが他の部屋にも案内してくれた。
懺悔室や控え室など、スペイン語がおぼつかない我々に、身振り手振りを交えながら教えてくれる。
礼拝堂以外の部屋も、ミニマムなBarragan得意のスタイルになっていて、自然光を取り入れた、
シンプルで期待を裏切らないものだった。

“神を敬愛する人に美意識がある”という稀な条件のもと、奇跡のように
この礼拝堂は存在していた。

*       *       *       *

次に訪れたのは「バラガン邸」、「ヒラルディ邸」、「オルテガ邸」の3つ。
この3つは2時間くらいで全部観れるツアー(130ペソ)があり、我々もそれに参加した。
結論から言うと、この中で「Casa Ortega(オルテガ邸)」は、外してもいいかもしれない。
1943年にBarraganが最初に建てた自邸で、5年後に売却したもの。今は誰も住んでいない。
バラガン邸
「Casa Luis Barragan」の玄関。
ここで彼は、その後に影響を与える様々な実験的な
試みをしたとの説明があったのだが… (?)
建築家を目指している人ならまだしも、
古く荒れ果てた家と庭は、1ファンに過ぎない
我々には、ただの廃墟にしか見えなかった。
(価値がわからなくてスイマセン!)

「Casa Luis Barragan (バラガン邸) 」は、
チャルペック公園の南、
タクパヤ地区にあるBarraganの自邸。
1948年オルテガ邸の隣に建てられ、
以来増改築を繰り返しながら、
息を引き取るまでの40年間を
ここで過ごした。

外観は簡素なたたずまいで、一見して外からは中の様子を想像するのは難しい。
だが、一歩部屋に足を踏み入れると、そこにはBarraganならではの空間が存在している。

バラガン邸
庭が一望できる大窓。
バラガン邸
増築されたアトリエ&図書室。

大きな枠のない窓。外の景色がまるで一枚の絵画のように見える。
庭園にも並々ならぬエネルギーを費やしていたことが理解できる。庭は広く、大きな木が生い茂り、
ダイナミックで男性的なイメージがした。こんな景色が自宅に存在するとは最高だ。
バラガン邸
2階に続く階段。

図書室の隅には、上に続く階段が…。
無駄のないシンプルそのものの階段。
部屋の天井は高く、空間が大胆に切り取られている。

部屋数は想像以上に多く、
見取り図がないと把握しずらい。
すべての空間は自然光が
取り入れられるように計算されており、
電気はあまりない。

鮮やかな色に塗られた壁に光が反射して、
様々な色のグラデーションとなっている。

全体の設計図も何も無く見てまわったので、
まるで日本の“からくり屋敷”にでも来ているかのような錯覚を起こす。
規格外の大きさや色合わせに、目がすぐには追いついていかない。
自然光を取り入れた部屋も日本なら暗く感じてしまうだろうし、空気の通りもこの作り方だと
湿気でカビだらけになりそうだが、なんせここはメキシコ。乾燥した空気と光の国だ。
バラガン邸
屋上。
バラガン邸は、まさにメキシコの風土に会った
建築物なのであった。

今は朽ちたテーブルが1つ
あるだけの屋上庭園は、
とんでもなく高い壁で囲まれていて、
それぞれ白、オレンジと様々な
色に塗られている。
このピンク色の壁の左側は紫色に
塗られている。その前には木が
あって、季節が巡ると、そこに
壁と同じ紫色の花が咲くそうだ。
大胆かつ繊細な手法。

Barraganの魅力が沢山詰まった自宅の中で、印象的だったのは寝室。
彼自身が最後に息を引き取ったというベットは簡素で、他の部屋に比べてひっそりと存在していた。
信仰心の厚さをあらわす十字架と、シンプルなテーブルがあるだけ。
この広大な敷地に1人で住んでいたというBarragan
ヒラルディ邸
「Casa Gilardi」の外観。
建築への大胆なプロジェクトそのものの様な
自邸の中で、彼自身は、“人間の孤独”を
静かに見つめていたような気がした。

最後に訪れたのは「Casa Gilardi (ヒラルディ邸)」
バラガン邸より5ブロック程歩く。

1975年、70歳を超えた巨匠Barraganのもとに
1人の若いアートディレクターが訪ねてきて、
自宅を建ててくれるよう依頼をする。
すでに住宅を建てるだけの仕事を止めていた
Barraganだったが、結局悩んだ末、
引き受けた。
これが実質上、彼の最後の作品となった。

ヒラルディ邸のもともとの家主は亡くなり、今はその息子さん家族が住んでいる。
訪ねると「Hola !」と明るく出迎えてくれた。息子というより、陽気なおじさんだ。

ここはもう、オモチャ箱をひっくり返したような喜びに満ちた家。
玄関を入ると目の前にはプールに至る廊下が奥まで続いている。度肝を抜く、驚きの設計。
しかも、その廊下の壁のガラスは黄色く塗られていて、光が入ると黄色い光が
降り注ぐようになっている。

ヒラルディ邸
室内プールに至る廊下。

ヒラルディ邸

1階のダイニングルームにあるプール。

プールの水面は、様々な色で塗られた壁に窓から入る光が反射してプリズムのようだ。
水深が140cmというが、光のマジックで、底は平面には見えず、あちこちに角度がついている
様に見える。やはり時間と共に表情を変えるらしい。

Barragan最後の建築物「ヒラルディ邸」は、70歳を超えた巨匠の作品とは思えないほど、
明るさとチャレンジに満ち溢れていた。勿論、彼の人生の集大成とも言える空間創作技術
は十分ほどこされているのだろうが、最後の作品である「ヒラルディ邸」に感動すればするほど、
Barraganがもうこの世にいない事実が残念でならない。

生きていれば100歳。
もし彼がまだ生きていたら、一体どんな作品を創ってくれたのであろうか?

メキシコの風土をこよなく愛した建築界の巨匠、Luis Barragan
彼自身は亡くなっても、彼が作り出した作品は、今もメキシコで光り輝きながら存在している。

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