Vol.28 『爆走4500kmの旅』 2002年3月15日 日本で、しかも東京に住んでいた我々が、こちらに来てレンタカーを借りる際、 「走行距離1ヶ月3000km以上の場合1kmにつき25¢追加料金」と言われて、 「そんなに走るわけないじゃないか・・・。」と思ったのは不思議じゃない。 長距離運転手じゃあるまいし、東京でそんなに運転することはほとんど無い。 しかし、この国は広〜いのである。 オーストラリア大陸の広さは日本の22倍。 そしてそこに住む人口は日本の約10分の1。 広すぎる大陸ゆえ、国内に時差もあるし、気候も違う。
体感するには、ラウンド(大陸を廻る)してみるのが一番ということで、居心地の良いバイロンベイを離れ、しばし南に下ってみることにした。 唯一の問題は、我々の運転ギライと方向音痴。しかし、季節もこの時期をはずすと南はどんどん寒くなる一方で、そうも言ってられない。 行くなら今だ。“案ずるより産むが易し”…。早速、地図を購入して行ってきた。 2週間のショートトリップだったのだが、走った距離は4500km以上!! 定かではないが、日本列島を縦断したくらいはあったと思う。 最初地図を見た時は、その途方も無い距離に愕然とし、 果たして運転できるものなのかと、一抹の不安がよぎったのだが…。 実際に出発してみたら、信号のほとんどないだだっ広い道を、ひたすら爆走していくという もので簡単そのもの!快適すぎて、眠気との戦いが大変だった。 たって、道はずーっとこれ・・・・。
そして行程は次のとおり。 <2/25(月)> バイロンベイ 〜 ヤンバ 〜 コフスハーバー <2/26(火)> コフスハーバー 〜 クレセントヘッド <2/27(水)> クレセントヘッド
残念ながら、波は無かったが、オーストラリア到着後、初のカンガルーに遭遇! 特にアキヤンは人生初の生カンガルーだったらしく感激もひとしおであった。 (コイツは今まで動物園に行った事がないのだろうか… <謎>??) この日の夜は初のキャラバンパーク泊。 次の日到着したクレセントヘッドは本当に小さな町。最小の“記号”しかないところだ。 一応カフェ&レストランも3軒くらいあるのだが、夜の9時過ぎたら、町で唯一のバーが一軒空いてるだけで、あとはなんにもない。ポイントも一箇所だけでわかりやすい。 ここの波はロング向けで最高だった。とにかく波がキレイ。 テイクオフもイージーで、一度乗ったら、もう、足が痛くなるほどロングライド出来る! この町が気に入って結局翌日も泊まる事になった。
<2/28(木)> クレセントヘッド 〜 シールロックス 〜 ニューキャッスル 〜 ゴスフォード <3/ 1(金)> ゴスフォード 〜 マンリービーチ 〜 シドニー <3/ 2(土)> シドニー <3/ 3(日)> シドニー 〜 ボンダイビーチ 〜 ウロンゴン 名残惜しくもクレセントヘッドを出発してシールロックスへ。 ここは、ポイントの前にキャラバンパークが1つしかないような場所。 ポイントブレイクだけれど、ここでもキレイな波に当たって最高だった。 その後波チェックしながら南下していったが、どこもいまいち。 こうなったらいける所まで行ってみようと、その日の運転の限界まで走り、 夜、ゴスフォードという名前も聞いたことがない町で力尽きて宿泊。
ここまで来ると都会の空気に変わる。大都会シドニーはもう近い。 3/2日はシドニー名物「Mardi Gras(ゲイ&レズビアン・パレード)」であった。 ゲイパレードに大騒ぎした後、再び移動。さらに下ってウロンゴンまでたどり着く。 ここまで来ると季節は秋めいてきて、水も冷たい。服も長袖に変わる。 我々はフルスーツを持っていないので、ここにたどり着いた時点で、 サーフィンはあきらめ、以後は観光に徹することに決定。
ひたすら移動すること10時間。この日に移動した距離約800km。 (会社員が出勤して帰宅するまでずーっと走っていた計算になる。…怖い。) この辺りでは、轢かれたカンガルーの死体や、バーストしたタイヤの破片やら 数え切れないほど見ることに…。 <3/5(火)> メルボルン 〜 オーシャンロードのどこか(??) <3/6(水)> (??)〜 マイツ・レスト 〜 セントキルダ 〜 メルボルン <3/7(木)> メルボルン 〜 シドニー 〜 カトゥーンバ
オーシャンロード約400kmを爆走しながら観光。大自然に圧巻される。 勢いついて約900km先の「ブルーマウンテン」を観ようとカトゥーンバまで足を延ばすも、霧の為何にも見えず。ガクッ。 服はフリース。寒い。 <3/ 9(土)> シドニー 〜 クレセントヘッド <3/10(日)> クレセントヘッド <3/11(月)> クレセントヘッド 〜 コフスハーバー 〜 ヤンバ 〜 バイロンベイ 行きは遠かった道のりも、不思議なことに、帰りは同じ距離なのに早く感じる。 帰りのクレセントヘッドで10日ぶりにサーフィン。またしても波最高。 我々は、ここが大いに気に入ってしまった。バイロンベイに近づくにつれ、 服は長袖からタンクトップに変わっていった。 ラウンドしてみて、ようやくオーストラリアが少し見えてきたような気がする。 延々と続く、手入れの行き届いてないゴルフ場みたいな景色にも驚いたし、 大自然にもビックリした。小さい町や村が数多く存在してることも動いて体感した。 そしてそこには当たり前だけど、オーストラリア人が素朴に生活していた。 なによりも驚いたのは、オーストラリア人の親切さだ。 道を尋ねると皆親切に教えてくれる。中には仕事を中断して外まで出て教えてくれる人がいたりして、聞いてるこちらの方が恐縮したこともしばしば。 各町には、インフォメーションセンターがあり、訪ねると地図もくれる。 きっと、ラウンドする人が多いので、情報・施設が整っているのだろう。
それは、ラウンドしている人々の中に、年をとった人を沢山見かけたことだ。 キャンピングカーを引きながらラウンドしてる老夫婦も多かったし、おじいちゃん一人というのも多かった。 親友同士といった感じの初老のおじさん2人が、サーフボードを積んで、楽しそうに旅する姿も見かけた。 なんでもオーストラリアでは、リタイアした後に、ゆっくりとラウンドして廻る人が少なくないらしい。 彼らは一様に、リラックスして旅を心から楽しんでいた。日本のおじいちゃんより、遥かに健康そうにみえるし、実際、元気だ。 “Life is Holiday !” (・・・・アキヤンの師匠カッちゃんの名言より。) この国には、本気でそう思っている人が絶対多い。 |