Vol.74 『Port Antonio(前編)』 2002年12月29日 あっという間に『Olah(オラッ)!』の国から『Yah man(ヤーマン)!!』の国だ。
コスタリカから入ったJAMAICA(ジャマイカ)は、 生い茂るジャングルの緑こそ似ているようなものの、 それ以外は「言葉、人種、治安、物価… etc」 すべてがあまりにも違い過ぎて、島のリズムに 慣れるのに時間がかかっている。 それもこれもすべて、Santa Teresaでひいた風邪が 長引いたせいだ。移動に次ぐ移動のせいで、 治るどころか余計にこじらせてしまった。 どちらか1人だけならまだしも、今回は2人共、 微熱に悪寒&鼻水ズルズルで、 判断力も集中力もあったもんじゃない! 最悪の体調でのJAMAICA入りなのだ。 首都Kingston(キングストン)にあるNorman Manley国際空港に着いたのは午後15:30。 荷物を受け取り、恐ろしく時間のかかる税関を通り抜け、ようやくレンタカーを借りて 空港を出る頃には、すっかり日が暮れていた。 向かうはPort Antonio(ポート・アントニオ)だ。 JAMAICAではほとんどのサーフ・ポイントが島の東側、つまり、ポート・アントニオから キングストンの間に集中している。最初から治安の悪いキングストンはヘビーだったので、 より田舎のポート・アントニオに行こうと決めていたのだ。 サーフボードが積める車ということで、借りたのは三菱のバン。レンタカー代は高い。 久しぶりのオートマ車。しかも道路はすべて舗装道路である! とはいうものの、このところずっと右側通行の国にいたので、左側通行にどうも慣れない。 おまけにジャマイカ人の運転のスピードはもの凄く速い。 住み慣れた島で道を知り尽くしているせいか、もう、飛ばす、飛ばす! 本来、キングストンからポート・アントニオまで2時間程の道のりなのだが、初めての場所で 街灯もない真っ暗闇のジャングルの山の中を、対向車がビュンビュン走ってくるので疲れる。 途中ジャマイカ人に道を尋ねつつ、なんとか3時間程で辿り着いたのが夜9時近く…。 前もって3日間だけ予約していたホテルにチェック・インしたものの、 この時点で風邪と疲れは頂点となり、そのまま倒れこんでしまう。 早朝サンホセのホテルを出でから国越えして、実に16時間後のことであった。
意識朦朧としながら起きた翌朝、ホテルは清潔で可愛かった。 オーナーのファビオは、このホテルに日本人がやってきたのは初めてだと言う。 数室しかないこじんまりとしたセンスのいいホテル。 鳥の鳴き声に誘われて、プール・サイドに出てみるが、すぐに悪寒に襲われて早々に退散。 こんな状態ではサーフ・ボードなんぞ開ける気にもなれない。 南の島に来てるのに、部屋のベッドでウンウン唸っている2人。TVを観るのが関の山だ。 せっかくのリゾートも風邪では台無しである。
ポート・アントニオはJAMAICAの東海岸に位置する小さな港町で、 Montego Bay (モンティゴ・ベイ)のリゾートやキングストンの喧騒から離れた静かな場所。 植民地時代にバナナのプランテーションで栄えたらしく、その輸送船に乗ってやってきた お金持ち達の別荘が、いまだ緑の中にひっそりと存在していたりする。 ここには大型なリゾート・ホテルはほとんどない。この町の住民は、昔から住んでいる ローカルと、同じく昔から遊びにきているお金持ち家族、そして島の他の地区の リゾート化を嫌ってここに移り住んできたリピーターの外国人などである。 ジャングルのような熱帯植物と豊かな自然は、映画のロケ地としても使われている。
映画『青い珊瑚礁』の舞台になった「Blue Lagoon (ブルー・ラグーン)」もその1つ。 周囲を緑に囲まれたセルリアン・ブルーの天然プールは、見た瞬間に 声が出てしまうほどの美しさ。勿論晴れた日の方が綺麗。 入り口にはレストラン&バーがあり、泳ぐこともできる。
映画『カクテル』のロケ地にも使われた滝。 熱帯雨林のジャングルの中、 渓谷や岩から流れ出す水は、 滝となってヒスイ色のプールに 落ちていく。ヒーリング効果抜群の場所。 泳いだり、岩から飛び込んだり出来る。 入場料も150JA$と良心的。 ポート・アントニオで見かける観光客は、 ほどんどがツアーでこれらの場所に 訪れるので、滞在している観光客は少ない。 したがって宿もレストランも少ない。 ホテルのオール・インクルーシブ・プランで食事する人が多そうだ。
珍しくローカル経営のレストラン。 創業22年の老舗だ。 昼間のみのオープンだが、前もって 午後までに予約を入れると夕食も 作ってくれる。値段も安く、味もおいしい。 US10$も出せばフル・コースの ディナーが食べれる。 オーナー夫婦は、ジャマイカ人にしては 珍しくフレンドリーで社交的。おかしいのは 店のカウンターにCDが置いてあること。 CDケースの写真をよく見ると、そこにはオーナーであるパパの姿が…。どうやら本人のCDらしい。 JAMAICAには、こういう音楽好きの“自称ミュージシャン”が異常に多いのである。 さて、リゾートのモンティゴ・ベイでもなく、レゲエのキングストンでもなく、 滝登りのオーチョ・リオスでもなく、観光するでもなく、サーフィンをする為にポート・アントニオに 居るような奴はあまりいないようだ。サーフ・ボードを載せて走っている車も、この辺りでは まったく見かけない。サーフ・ショップなんていうものも無さそうだ。 そもそもJAMAICA行きを決めたのは今年の6月。カウアイ島で仲良くなったサーファー& レゲエ・ミュージシャン、ダニエルの「JAMAICAにも波があるよ!」の一言だった。 半信半疑の我々に、大雑把なポイントも教えてくれる。 「JAMAICAねぇ…。」 実は私もアキヤンもJAMAICAは初めてではない。 2人共、13年前に一度来たことがあるのだ。その時は一緒に行ったわけではなかったが、 回ったコースは大体似たり寄ったり。 私は友人とモンティゴ・ベイの高級リゾートでのんびりして、オーチョリオスやキングストンに 遊びに行ったりしていたように思うし、当時『RASTAMAN』という洋服のブランドをやっていた アキヤンは、“服や雑貨の仕入れ” でキングストンを動き回った後、やはりモンティゴ・ベイに 寄って帰ったらしい。 かなり昔のことなので、とにかく海や緑や花の色が素晴らしく美しく、立派なリゾートで、 物価が高く、キングストンは疲れる町だった… という印象しか残っていなかった。 “でも、そこにサーフィンが加わったら面白いかも?” という気持ちと、前回行きそびれた Negril (ネグリル)を見てみたいというのが重なって、JAMAICA行きを決めたのだ。 だから今回は “前半サーフィンで、後半は波の無いネグリルでのんびりする” という計画。 ビザ無しで滞在できるギリギリの29日間の予定である。(30日以上はビザ必要) サーフィン出来る時間も短いので、さっさと宿問題を解決して海に入りたいところなのだが、 風邪でそれどころではない。それでも、とりあえず宿探しがてらポイント・チェックに出かけてみる。 昼間の光の中で観るJAMAICAは、緑も花も海も色が派手で、まるでおもちゃ箱のようだ。 その中の存在しているジャマイカンも、それに負けないインパクトの服とファッション。 真っ黒な肌が景色に似合う。夜は暗闇に白い目とか歯だけが見え隠れするほどに景色に溶けて、 昼は光の洪水の中でも負けないインパクトで主張している。 JAMAICAで素晴らしいのは、この圧倒的な “光” だ。 これにかかると、トタンのボロ家すらカッコイイ配色にみえる。 ジャマイカンの若い女性はブラック・ビューティーで抜群のスタイル。 ヘアー・スタイルもそれぞれ個性的でお洒落だ。男もカッコイイ。ラスタ・ヘアーが当たり前。 爺さんは渋い。ばあちゃんも派手だ。子供も可愛い。 もう、そこらじゅう写真を撮りたくなるような被写体で一杯なのだ。 いきなり濃い世界に連れて行かれる。 この国はビジュアルがいい。
車で走っている時、あまりの海の綺麗さに目を奪われてたのだ。すぐさま車をバックして戻る。 信じられないくらい美しい海の色。“こんな綺麗な海でサーフィン出来たら最高だろうなぁ。” そう思ってボーゼンと眺めているとなにやら人影が目に入る。 なんと、サーファーだ!! 2人いる。しかも1人はラスタマンだ! 胸がドキドキしてきた…。 こじんまりとした入り江は美しく溜息が出るほどだ。膝波だがキレイな波。 しかも2人で貸切状態だ。羨ましい…。彼らが海から上がるのを見計らって話しかけてみる。 「Yah man! 海はどう?」 「小さいけどいいよ!」 「へぇ〜。他にいいポイント知らない?」 「いろいろあるよ…、」 話が盛り上がろうとしたまさにその時である! 「Hey ! Japanese !」 振り向くと1人の男が近づいてくる。 そうしてほどなく2人共、大事な事を忘れていたのを思い出すのであった。 どうやら人間の記憶は都合の悪い事は忘れるようになっているらしい…。 (次回に続く)
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