Vol.75 『Negril』
 2003年1月9日

『あっ、マングースが横切った!』

それは去年のクリスマス前、ポート・アントニオからNegril(ネグリル)に移動中のこと。
いきなり道路を横切る小動物を見た。“マングース” だ!!
JAMAICAでは、「目の前をまっすぐ横切るマングースを見るとラッキー、
反対に、横切らず途中で引きかえすとバッド・ラック」という言い伝えがあるそうな…。

思えばJAMAICA到着以来、体調を壊してサーフィンも出来ず、ポート・アントニオには
療養に行ったようなもんであった。今回は気分を変えてのネグリル行き、
“ラッキー・マングース”も見たことだし、いいことあるかも?と期待する。

途中、オーチョ・リオスモンティゴ・ベイを通り過ぎ、約6時間程でネグリルに到着。
とりあえずファビオに紹介してもらった「Whistling Bird」にチェック・イン。
ビーチ・フロントのコテージ形式のアット・ホームな老舗ホテルだ。

マネージャーのアンドレアは、「悪いんだけど2泊まではOKだけど、あとは年明けまで
予約で一杯なのよ。私も助けるけど、今日明日で自分達でも探してみてね。」

申し訳なさそうに言う。しかたがない。
早速宿探しだ。ビーチ沿いがいいので、海から探すことにする。

ネグリルは北のBloody Bayから始まる。すぐ下にはLong Bay (ロング・ベイ)があり、
11kmにわたる白砂の美しいビーチが続いている。その先は “クリフ” と呼ばれる岬が
あり夕日を観る場所として有名だ。ビーチからクリフへと続く道の途中には、
ダウンタウン(というほどのもんではない)に至る道が横切っている小さな町である。

JAMAICAで最初にリゾート開発された場所らしく、宿泊施設はビーチから岬まで、
道路沿いにたくさんあった。モンティゴ・ベイよりも随分カジュアルなリゾートで、
安宿から高級ホテルに至るまで、様々なタイプの宿が揃っているようだ。
波も無いことだし、高級ホテルで “エステ三昧か?” と夢は広がる。

X'mas
Long Bay
X'masにはこんな姿が…。
ボート
海の青さは格別。
まさにカリビアン・ブルー!

心配していた宿問題はほどなく解決した。歩き回った結果わかったことは、
高い安いにかかわらず良いホテルはすでに一杯で、デタラメなホテルや
新しいホテルは空いているというわけ。大抵のホテルは覗いてみたが、
高級リゾートホテルは値段に見合ってなくイマイチ。それでもいくつか目星をつけて
戻ると、アンドレアから以外な提案が…。

実は現在妊娠9ヶ月目の彼女。出産の為、ちょうど実家に移ろうと思ってたので、
ホテルの敷地内にある自分の部屋ではどうか?というのだ。
部屋は、その昔は事務所として使っていたが、現在は彼女の部屋になっている
といるものらしい。年末に宿探しをしている我々を不憫に思ったのか(?)、
親切な提案だった。

見せてくれた部屋は、お世辞にもキレイとは言えない掘建て小屋であったが、
せっかくの好意を無駄にするのも悪いし、それはそれで面白い過ごし方かも?と、
そこに移動することにする。こうして “エステ三昧” の日々は幻と消えた。

アンドレア
Andoreaと。
部屋
そしてこれが彼女の部屋。
こんな所で年越しすることになるとは…?。

部屋は一応ベット・ルームとリビングが分かれた2Kタイプで、小さなキッチンもある。
トイレの便器が壊れていることを覗けば、ケーブルTVもラジカセもあるし快適そうだ。
しかも1泊30$。考え方によっては、物価の高いこの国で、なかなか出来ない過ごし方であろう。

『アンドレアの部屋』は、一応ホテル内にはあるものの、敷地の端にある
従業員用の小屋のそのまた奥にひっそりと存在している。
当然部屋番号なんか無い。果たして従業員は、我々を客として
扱ってくれるのかどうか心配になるような小屋だ。
(後日、ちゃんと部屋の掃除をしてくれたので安心した。)
部屋
部屋の中。
部屋
リビング?
従業員にとっても、我々は、かなり不思議な存在だったに違いない。
だって最初は一般客と同じコテージに泊まってたのに、いきなり自分達の近所に
住んでるんだから! ホテルの敷地内に洗濯物を干してる変な客…。

しかも他の客が皆オール・インクルーシブで食事している中、
勝手にスーパーに買出しはするわ、ローカルのレストランで食事はしてるわで、
どうみても “ホテル内で最もお金を使ってない客No.1” なのは、誰の目から見ても
明らかである。したがって、従業員との距離感は近い。
彼らの子供達が絶えずその辺を走り回っている。
ナタリー
ハスキーボイスのナタリー
ジャマイカンの名前は
イギリス支配が長く続いた影響か?
イギリス調の名前が多いみたいだ。
このホテルで働く女性には
迫力のあるおばさんが多い。
掃除のおばさんなんか、
“怒りのアフガン”風の顔…。
なのに名前を聞くと、
「リリー」とか「ヴィヴィアン」
とかいう可愛い名前の答えが返って
きて、そのアンバランスさがおかしい。

ネグリルはその昔、電気もTELもないただの漁村だったという。
60年代に入って、ヒッピーやバック・パッカーが現れ、ローカルの家や
ビーチに寝泊りし始め、最初のホテルがオープンしたのは77年。その頃のネグリルは、
インターネット・カフェ
インターネット・カフェ。
ヒッピー達の“エデンの園”で、
安宿&中宿のニルヴァーナと
化していたらしい。
80年代中間にピークを迎えて、
その後は徐々に盛り下がり、
現在では、カップルや家族連れの
リピーターが多く見られる
“ちょっとさびれた落ち着いたリゾート”
という風体である。

ここに波でも立ってたら、世界中からサーファーが集まって、また違う歴史を辿った
のであろうが、今のネグリルは正直言って、ちょっと来るのが遅すぎた感がする。
やはり20年前のネグリルを見たかった!!

他の地区に比べてジャマイカンの“アタリ”も弱い。
観光客の数も多く、物売りもターゲットがたくさんいるのでしつこくない。
のんびりと平和なリゾート感覚を楽しめる町だ。治安の悪いこの国で
「家族で安心して遊べるジャマイカ」がここにはある。

町をウロウロすると、その昔のハジケた時代からそのまま居残ったらしき外国人に
よく出会う。彼らが経営する宿やインターネット屋も、この町の雰囲気作りに
一役買ってるし、ローカル・ジャマイカンもそういった古くからいる外国人と
いい関係を保っているようだ。外国人にも慣れているので
コミュニケーションも楽である。

拍子抜けしたのはネグリル夕日
ネグリルと言えば、燃えるように赤く染まる夕日を思い浮かべる人が多いだろうが、
滞在中(13日間)に観た夕日は、全然大したことなかった。
天気も変わりやすく、通り雨も多い。考えてみれば、1年中緑に溢れているこの国、
それを維持する為には天然シャワーが不可欠だ。夜も意外と涼しく肌寒いくらい。

その代りひとたび晴れると、それはそれはもうパコ〜ンと抜けるような、まさに、
古きよき時代のカリブの世界にレイドバックできる。
モンティゴ・ベイオーチョ・リオスみたいなリゾートという名の
“幻想のパラダイス” か、キングストンの “厳しい現実” か…。
どちらもパス! という人は、迷わずネグリルに行こう。きっとのんびり出来る。

ポスター
町に貼られたライブのポスター。
年末のせいもあるのか、
毎日どこかでやっていた。
スピーカー
海岸にド〜ンと置かれた
サウンドシステムの巨大スピーカー。

町中には、サウンドシステムやライブ・コンサートのポスターがあちこちに貼られ、
年末に近づくにつれ、段々盛り上がっていくようだった。
人気のDJ、BEENIE MAN(ビーニーマン)のライブにも遊びに行ったりと、
夜のエンター・ティメントには事欠かない。だが、久しぶりにいったレゲエ・ライブは、
「ダンスホールスタイル」と呼ばれるラップのようなもんが、とっくに主流になっており、
私の好きだったレゲエのリズムとは随分様変わりしていて驚いた。

パーティ

大晦日。ビーチ沿いの店はどこも
夜通しパーティだった。
花火
カウントダウンの花火。
ビーチに船が出ていて、そこからあがる。

さて、年末のネグリルだが…。
午後過ぎからあちらこちらの店で、レゲエのリズムが聞こえ出し、
夜の10時を過ぎると、ビーチは人で一杯。一体これだけの人がどこにいたんだろう?
っていうくらいの人込みに変わる。これらの人は、皆、カウントダウンと共に上がる挙がる
花火を待っているのだ。

そしてついにカウント・ダウン!
ビーチに船を出して、そこで花火を挙げているのだが、1回上がったらしばらくは
静かになり、そして忘れた頃にまた挙がるといった、とてもジャマイカンな花火の
挙げ方である。それでもビーチでは歓声があがり、行き交う人々は
『HAPPY NEW YEAR !!』と、新しい年を祝福しあっていた。
そして、大音響で鳴り響くレゲエのリズムは、明け方まで続いたのであった。

翌朝。
アキヤン
ジャマイカの空の下。
目覚めたら2003年になっていた。
抜けるような空の下、
今年の『旅予定』をたてる2人。

確か去年の今頃も、どこに行くか
決まらず右往左往していたような
気がする。
Xマス&年末で事務処理が
進まないのも去年と一緒。

…ったく、懲りないねぇ。

なにはともあれ、新しい年が明けました。
今年も懲りずに、一緒に旅を楽しんでくださいな。
Let's have a Happy & Fun New Year ! !

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