Vol.76 『ジャマイカ物語』
  2003年1月15日

ジャマイカ人は働かない。
働いてもそのスピードは限りなく遅い。
“サービス”という言葉の意味も、たぶん正確にはわかってないものと思われる。

勿論すべてのジャマイカ人にそれが当てはまるわけではなく、中には素晴らしい人も
存在している。たぶん「教育」が悪いのだろう。
良い教育を受けたジャマイカ人には、びっくりするような人格者や素敵な人が多い。
たが、残念ながらその数は多くない。
短い滞在中、「最低な奴」と「最高な奴」の両方を見た気がする。

1494年にコロンブスがこの地を発見した時、住んでいたのはアラワク・インディアン
だった。彼らがスペイン人によって絶滅した後、植民地になったJAMAICAには、
アフリカから大量の黒人が奴隷として連れてこられた。
それがジャマイカ人のルーツである。

その後、スペインからイギリス支配に変わり、300年にも渡る植民地支配で
過酷な労働を強いられた黒人達は、1962年に、ようやく独立を果たした。
つい40年前までムチ打たれ、奴隷として扱われた悲惨な過去を持つ彼ら。
一部には「愚民対策」として、わざと充分な教育を与えなかったという話もある。
まったく、酷い話だ…。

現在では、学歴や教育も向上しつつあるとはいえ、経済的にはインフレが進み、
下層階級の生活水準は極めて低く、大きな問題となっている。
ラスタファリズムレゲエだけでは埋められないものがたくさんありそうだ。

Frag

ビーチにたなびく旗。
ゴミ缶
ゴミ缶もラスタカラー。

もともとコスタリカでたまりにたまった事務処理を、ここでやろうと思ったのが
甘かった。コスタリカと比べれば都会に思えたJAMAICAだったが、
実のところ、想像してたよりずーっと田舎だったのである。

はっきり言って今回のジャマイカは、DHLで始まり、DHLで終わった。
だから本当は、[ジャマイカ物語 −(副題)DHLとの不毛の戦い]と名づけたい
くらいである。DHLとは、ご存知国際宅急便。

DHLとの不毛の戦い”はメキシコから始まった。
日本からDHLで大事な荷物を送ってもらったのだが、時間がかかったあげくに税関で
止められ、1部の内容物以外は受け取れず、結局そのまま日本に送り返すことに…。

その後、コスタリカに送ってもらおうとしたのだが、郵便事情が悪く移動が続いたので
断念せざるを得なかった。そして待ちに待った今回のJAMAICAなのである。
友人のちょっとした知り合いがJAMAICAにいるということで、前もって相談して
その人の住所に送ってもらうことにしていた。今度こそ受け取れる! と、もう、
本当に楽しみにしていたのだ。ところが…。

荷物が書類不備で空港の税関で止められているという。
日本から再び新しい書類を、日本のDHLに送ったものの、現地のDHLからは 
一向に音沙汰がない。会ったこともない人に頼むというのもバツが悪かったが、
受け取り手の住所がその人になっているので、面倒でもその人に連絡してもらうしか
手がない。JAMAICA滞在中に必要なものが入っていたので大いに焦る。

おまけに2人共、ひどい風邪に悩まされ体調悪いことこのうえない。
しかも滞在していたホテルの部屋には直通電話はなく、いちいち
フロントまでいって、テレフォンカード(これがまた面倒くさい!)で連絡するが、
なかなかうまく連絡がつかず、本当に気が滅入ってしまった。

そうこうするうちに、Xマス&年末休暇に入ってしまい、話はますます面倒なことになり、
2人の間にも、“こりゃ、今回もまたダメだ”とあきらめムードが漂う。
しかたなく日本に送り返してくれるよう頼んだのだが、それに対しての返答もない。

毎日ジリジリと、荷物が「届くのか届かないのか」考えるのに疲れ果て、
年明け、DHL本社があるキングストンに移動した。ホテルの部屋には電話もある。
早速日本の送り主と連絡を取り合い、日本のDHLと確認してもらうと、
今度はネグリルにすでに送られているとのこと。
「え〜〜っ!!もうキングストンに来てるよー!」

再度、確認をとると、今度はやはりキングストンにあるという。
もう訳がわからない…。ジャマイカ人とのやりとりでは話にならないので、
日本のDHLに電話して、『一体、荷物は今どこにあって、なぜ止まっているのか?』
を調べてもらうのだが、日本のDHLも、しょっちゅう担当者が変わり面倒くさい。

数回のやりとりの末わかったことは、どうやら荷物はまだジャマイカの空港の税関で、
止められていたらしいということだった。理由も解らない。
それでは直接取りに行くと伝え、現地DHLにそのむねをFAXしてくれるように頼み、
直接出向いたが土曜日で休み。またまた日本に電話すると、「あれ…、やってる
はずですが…?」
 でも閉まってんだよ〜〜!!

再び電話でのやり取りの末、ようやく責任者らしき人から
「大丈夫です。こちらから現地に電話したところ
今日中に税関を通すということなので、月曜の朝、荷物は届きます。」
との
返事をもらった。すでに荷物問題でイライラは限界に達していたのでようやくホッとする。

その夜は、荷物を受け取れる喜びで、2人共、妙に寝付けず興奮気味…。
「いろいろあったけど、ようやく届くねぇ〜。」と思わず顔がニヤつく。

翌朝、ホテルのフロントから1本の電話。DHLから荷物が届いてます。」
イェ〜イ! 喜び一杯でフロントに受け取りに行くと、そこには、明らかに違う荷物が…。
よく見ると、受け取り人の名前も全然違う。問い合わせても、“これは確かに
あなたの荷物です”の一点張り。 そんな知らない人の荷物を受け取っても
しかたがない。再びDHLに電話で問い合わせると、「あなたの荷物は2つある。」と言う。
じゃぁ、もう1つはどこなんだ!と尋ねると、調べて折り返し電話するとの答え。

しかし、例のごとく、待てど暮らせど電話は来ない。
痺れを切らして現地本社に出向いた。立派なビルである。(意味がない!)
出てきた担当者の女性と話してみるもののラチがあかない。
どうやら日本から送ってもらったFAXも見ていないことが判明する。
やる気なさげなその女性は、「んじゃ、調べて電話するから…。」とテキトーな答え。
プチッ…。もォ〜頭にきた!あまりの対応に怒り爆発!!

「一体全体、私の荷物はどこにあるんだ〜〜!!今すぐ調べろォ〜〜!!」
と思わずヤクザになってしまった。嫌がる彼女に調べさせること1時間あまり…。
実は荷物はまだ空港の税関に止まっていることが判明する。事態は振り出しに戻る。
2つあると言っていた荷物も、実は別の人ので、やはり荷物は1つだった。
あ〜〜〜〜?!!

こうなったら今から税関に行くしかないっ!と、空港近くにある税関まで、
タクシーを飛ばす。すでに値段の交渉をしていたにもかかわらず、タクシーの運転手は、
「どれくらいかかるんだ?待ってる間のお金を払って欲しい。」とボリ始める始末。
しかし、怒り爆発の耳にはそんなたわごとはまったく聞こえず、
「ハァ〜?!なんか言った?」 ってなもんである。そのうちタクシーの運転手も
“こいつは怒ってるぞ” と気づいたらしく、急に静かに運転を始めたのであった。

空港近くの税関は掘っ立て小屋のような建物だった。
中に入ると、たくさんの荷物が積み上げられ、傍から見ても、非常に効率の悪い仕事の
やり方で作業が行われていた。ようやく荷物を探し出すと、箱は破損し、中身もボロボロ…。
受け取りの際に判明したのは、どうやら中古のカメラが引っかかっていたらしい。
受け取るのに20万払えと言う。

しかし、怒りのパワー炸裂の私には恐いもんはなかった。
「もう、疲れてんだよ〜今すぐ渡せー!そんな中古のカメラにお金払えるかっ!」
と爆裂し、結局2万円払って受け取ったのであった。
JAMAICA滞在最終日のことである。
実に、メキシコ以来、荷物を受け取るまで6ヶ月もかかった計算になる。

しかし…、DHLはお話にならない。こんなんで日本からの送料5万円も取って
いいのかっ!!(ちなみにメキシコでは3万円+送り返し料も払った)
荷物を早く届けんのが仕事だろ〜! DHLの社長はこのこと知ってんのかっ?!
ジャマイカ人は働いてないぞー。

日本のDHLにTELして事情を説明すると、「大変申し訳ありません。
今回の送料代金は返金させていただきます。」
との返事だった。
当たり前だっ! だって、届いてないんだから…。自分で取りに行かなかったら、
永久に届かなかったに違いない。滞在中のストレスといったらなかった。
まぁ、今後二度と使うこともないだろう。
こうして、長かった“DHLとの不毛の戦い”は終わった。


水

水のペットボトルのラベル。
果たしてこんな奴はいるのか?
ZOO
いたいた!
キングストン近郊のポイント「ZOO」

さて、我々はジャマイカに何をしに来たのか?
それは … サーフィンとネグリルの夕日を観ることである。
しかし残念ながら、今回は両方とも不発に終わってしまった。
夕日は前回述べたとおり。それでは波はというと…。

JAMAICAでは、午前10時になると風が吹き出し、面が荒れて波がグシャグシャに
なってしまう。 だからサーフィンできるのは早朝のみとなる。
これはどこのポイントも同じようだ。サイズも、我々が見た限りでは、胸〜肩ぐらいで
あまり大きくなかった。長さも短く、イマイチよくわからないまま。

サーファー
「Light house」。
最近開発されたポイント。
サーファー
地元、ラスタマンのサーファー達。

天気も変わりやすく、通り雨もしょっちゅう降るので、リズムも掴みにくい。
一応サーフキャンプのようなものも1箇所だけあることはある。
オーナーは地元のラスタマンのサーファーで、本格的にサーフィンだけしたい人は、
そこを尋ねて情報を聞くしかないだろう。

もともとサーファーの数自体が少なく、ポイントの場所もわかりにくいし、
当然サーフショップなんぞはない。その上治安が悪いので、地元のサーファーと
仲良くならないと安心して車も止められず、面倒なことが多いのだ。
一度顔見知りになって仲良くなれば、大丈夫。
しかし、そこまでして行く価値がある波か?と聞かれると、はなはだ疑問である。

レゲエ好きのサーファーなら結構楽しめるだろうが、そういう人種は大抵貧乏なので、
物価の高いJAMAICAはバーが高いらしく、あまり見かけなかった。
ここはサーフィンだけで来るには、少々辛いと思う。

ジャークチキン
ジャマイカ名物ジャークチキン。
ドラム缶で焼いている。
食べ物も、安くてある程度おいしい店も
あることにはある。
名物ジャーク・チキンや、
アキー&ソルトフィッシュなども
初めて食べると、意外とおいしい。
だが、毎日食べろ!と言われたら
ちょっと考えてしまう。
全体的に脂っこく、しょっぱいので、
あきやすいのだ。
約1ヶ月余りの滞在だったが、
最後は「バーガー・キング」に救われた。

そんな中で、帰る直前に発見した和食屋には感動ひとしおだった。
ヒルトン・ホテルの2Fにあるその店は、唯一の本格的な日本料理屋。
今年の2月にオープンしたばかりだそうだが、味も値段もGOOD!
もっと早く見つけたかったと、つくづく思う。

久しぶりに訪れたKingston(キングストン)では、ダウンタウンは覗いただけで
終わったし、今回疲れすぎて、ゲットーを覗く気にもならなかった。
ただ、滞在していた New Kingston(ニュー・キングストン)は、相変わらず
顔を見ると「ジャップ!」と叫ぶ奴はいたものの、
(しかし、今時、世界中でそんな言葉を投げかける国は無いと思うが…)、
昔に比べて、随分治安が良くなっていて驚いた。

ハーフ・ウェイ・ツリー周辺も、すっかり様変わりしていて、
昔そこらじゅうにいた“ゴロツキ”が一掃された感がある。ゲットーの方にでも
移ってしまったのか(?)、歩き回っても危険な空気はゼロだった。

思うに、やはりJAMAICAは、レゲエ好きの人が来る所だろうね。
なんたって本場だし、ここなら簡単にライブを楽しむことができる。
Teleca
テレフォン・カード。

切手

ボブ切手。
実際に使えると言われたが、
ハガキ1枚に、40枚も貼らなければ
ならず、現実的にはこれで出すのは無理。

昔、大好きで死ぬほど聞いたボブ・マーリー
とっくにこの世を去ってしまった彼は、未だにJAMAICAの救世主であり続けていた。

『ボブ・マーリー・ミュージアム』は以前にも増して拡張され、観光客はツアー・バスで
見学に来ているし、『ナイン・マイルス(ボブの生まれ故郷)・ツアー』なんていうのもある。
死んでも尚、母国に莫大な経済効果をもたらしているボブ・マーリー
たぶん当人もそこまでは想像していなかったことであろう。

しかし、大好きだったボブ・マーリーは、もうこの世にはいない。
波も夕日もイマイチだった。
おまけにここにきてデジカメも壊れてしまい、多くの最高のショットも見逃した。

今後、再び来ることなんかあるのかなぁ…??? 

そんなことを思いつつ、JAMAICAを飛び去ったのであった。

PREV  NEXT

BACK