Vol.78 『Barbados』 2003年1月25日
最初にその名を聞いた時は、一体どこにあるの? という感じだった。 マイアミから飛ぶこと3時間30分。 カリブ海に浮かぶ島々の中で、最も東の端にある島、 それがBarbados(バルバドス)だ。 西側は美しいカリブ海、東側は大西洋の大海原。 島の大きさは南北34km、東西22km…。 ようするに、種子島くらいの大きさである。 Grantley Adams国際空港に着いたのは 夕方のこと。思ったより近代的な空港で、 税関はほとんどノーチェックに近く、あっけないほど 簡単に外に出ることが出来た。前もってレンタカー会社に 予約をしていたにもかかわらず、用意されていた車はこれ!
バンを予約したつもりが、用意 されていたのはMokeだった。 どうやらTELでうまく言葉が通じて なかったらしい…。 (バルバドス訛りの英語は かなりわかりにくい!) とりあえず荷物を積み込み、東の町、 Bathsheba(バシェバ)に向かう。 初めての場所で、夜着いたこともあり、 まったく雰囲気がわからない。 途中、雨まで降り出し、ほとんどずぶ濡れになりながら、40分程でようやくホテルに 辿り着いた。あたりは真っ暗で何も見えず、この日はこのままベッドに倒れこむ。 翌朝、早速ポイントチェック。風がビュービューだ。 島の東にあるBathshebaは、町というよりは、単なる地名といった方が正しいくらいの なんにもない場所。しかし、Barbadosでサーフィンというと、真っ先にここの名前が あがる。それはここに、海外のサーフィン雑誌でよく見かける、 『Soup Bowl(スープ・ボウル)』という有名なポイントがあるからである。
「Bajan Surf Bungalow」があって、 サーファーの溜まり場となっている。 (宿泊施設有り)。 そこで働くBallyは親切な奴で、島の ポイントをいろいろ説明してくれ、 最後にこう教えてくれた。 「ロング・ボードならサウスがいいよ。 いつも波があるから…。ここは大抵、 風が強い。だからサウスにいて、 風が無い時にこっちに来れば?」
確かに…。東の端のBathshebaには、いつも大西洋からの風が吹いており、 椰子の木の葉が折れんばかりに揺れている。毎日朝からビュービューである。 今回ここには半月の予定で来ているので、あまり時間が無い。 ここはアドバイスにしたがって、南に移動することにした。 “また宿探しから始るのか〜…” と、内心グッタリした気分だったのだが、 そんな気分も、南の海の色を見て吹っ飛んだ!! とにかくキ・レ・イ!! まるで “プールのような色” なのである。まさにカリビアン・ブルーの世界だ。
急に気分がワクワクしてきて、宿探しの前にポイントチェックに行く。 「South Point」と呼ばれる灯台前のポイントには、数人のサーファーがいた。 そこでしばらく波乗りしているサーファーを眺めていると、 話しかけてくる男が1人…。 Zedと名乗るその男性は、金髪の白人だが、生粋のバルバドス人だと言う。 ジャマイカで、“むやみに話しかける奴は皆悪い奴”という図式が出来上がっていたので、 最初は警戒したのだが、話してみるとなかなかいい奴。 ついでに宿を探してる事を相談すると、なんと一緒に付き合ってくれると言う。 そうして、あっという間に宿決定!
Barbadosの物価は高い。 しかも今はハイ・シーズン。 ホテルの数も山程あるが、 安宿はほとんどなく、中級〜高級の ホテルがほとんど。 外食するにも、値段の割りには あんまりおいしくない。 だから、こんな宿が理想だった。 2日に1回は、メイドのおばさんが 掃除にも来てくれる。最高ではないかっ! ここはHPもなく、ガイド・ブックにも載せてない、オーナーが知り合い中心に貸してる コンドミニアムの様なものらしい。(ここはそういう物件が少なくない) Zedがいなければ、自分達では決して探せなかっただろう。 我々の宿を自分ごとのように探してくれたZed。本当にありがとう! 実は、彼は信じられないくらいイイ奴だったのであった。 そして、後々わかってくるのだが、バルバドス人は皆とても親切な人が多いのである。
首都のBridgetown(ブリッジタウン)はこじんまりとした町だが、人の数は多く、 朝は通勤ラッシュとなるくらいだ。「リトル・イングランド」と呼ばれる一角には、 いまだにイギリス植民地時代の建物も残っていたりする。 他のカリブ諸国同様、Barbadosも、もとは植民地であった。 だからここの祖先もアフリカから連れてこられた黒人奴隷で、現人口の90%は黒人。 350年に渡るイギリス支配から独立したのは1966年のこと。 見た目はジャマイカ人と似ていても、この島の人は陽気で明るく、“貧困”の空気は 感じられない。気候がよく、農作物の生産力も高いらしいので、そのせいか(?) カリブの中では生活水準も高く、治安もすこぶる良い。 現地でたまたま手に入れた地方紙をめくっていたら、ちょうどジャズ・フェスティバルが 行われていることがわかった。数日間に渡って行われるそのフェスティバルの 参加者リストには、多くのミュージシャンの名前があったが、 その中にPatti Lavellという文字が・・・。 「えーっ、こんな田舎にパティ・ラベルが来るわけ〜…?!」 半信半疑で連絡先にTELすると、やはりあのパティ・ラベルだった! おおお〜〜〜っ、ラッキー!! 奇遇な事に、マイアミのCDショップで、彼女のCDを 見かけて懐かしくなり聞いたばっかりだったのだ。これはもう、行けということだろう! 向かうは「Garfield Sobers Auditorium」。 道を聞き聞き辿り着くと、そこには、“どっからこんなに人が来たの?!” というくらい 大勢の人が集まっていた。しかも皆もの凄くお洒落している。 コンサート・ホールは結構立派な近代的な建物で、ほぼ満席。 バハマ公演のついでに行われたらしいバルバドス公演は、 アット・ホームな雰囲気で、写真も撮り放題だし、ステージにかけよっても全然平気。 彼女のトークに会場がワッと沸く。会場内にアジア人は我々だけ…。 御歳58才になるというパティ・ラベルは、全盛期さながらの歌いっぷりで、 まさに元祖熱唱系!! やっぱり凄いなぁ…。もう、鳥肌もんである! 最近の映画『ムーラン・ルージュ』で、彼女の曲がフューチャーされたせいもあり、 会場から飛び入りでステージに上がって歌う人まで出てきて(これがまた驚くほど ウマイ!)、会場中、大盛り上がりだ。
「私はこの歳になって、いろんな人の死に立ち会ってきた。父、母、兄弟、 そして多くの友人達・・・・・・。皆、周りに愛する人がいるでしょう? 今日という日は2度と戻って来ないのよ。明日のことなんて誰にもわからない。 だから、“いつか”じゃなくて、“今度”じゃなくて、“明日”じゃなくて…、 今、言おうよ。愛してるって!」 その言葉に会場中の人が、隣や周りの人といっせいに抱き合い、 会場内には、「I LOVE YOU」という声がこだまする…。 黒人独特のノリの良い空気の中で、本当に最高のライブが聞けたと思う。 ライブが終わって外に出ると、すでに車は大渋滞。 それでも、人々は怒りのパワーを出すでもなく、皆静かに、礼儀正しく、 少しずつ車を出していく。なんだかマナーが良いのである。 結局、その方がスムーズに早く車が出せるわけだし、バルバドス人って のんびりしていていい感じだ。 初めての国Barbadosで、予想外のうれしい事とたくさん出会っている。 着いて早々、いい波にも乗れた。いい人とも出会ってる。いい宿も見つかった。 久しぶりに、ぐっすりと眠れる日々も送れているし…。 どうやら、“カリブ” を見直す時が来たようである。 |