Vol.80 『CUBA』
 2003年2月8日

『ちょっとライターを貸してくれないかい?』

寝起きにちょいと外の様子を見ようと、ホテル前の通りに出た時のこと。
いきなり後ろから声掛けられた。振り向くとキューバ人のカップルだ。
アキヤンがライターを貸すと、『どこから来たの?』 と尋ねられる。
『ハポン(日本人)。』 と答えると、『ワォ、俺の兄貴は日本に居るんだ。』 と言う。
なんでもラテン音楽のプロモーションの為に日本にいるらしい。

マンリーと名乗る彼女の方が英語が喋れるらしく、さわやかな笑顔で、
『いつ、キューバに来たの?』 と尋ねるので、
『昨日の夜、着いたばかりだよ。』 と答えると、自分達はこれからフェスティバルに
行くところなんだという。どこでやってるのか?と場所を尋ねると、なんと一緒に
連れて行ってくれるとのこと。寝起きでボーッとしながらも、別段、悪い人にも
見えなかったので、一旦、ホテルに戻って着替えると、出かけていったのであった。
通り
HAVANAの街並み。

洗濯物

あちらこちらのバルコニーには、
洗濯物が干してある。

Vedado(ベダード地区)と呼ばれている新市街を歩きながら、空を見上げてみると、
抜けるような青空が見える。スペイン植民地時代が長かったせいか、
コロニアル調の建物が多い。しかも、どの建物もボロボロである。
人が住んでるのか? と思うが、洗濯物がかかっているので、住んでいるのだろう。

店らしきものも、ちらほら見えるが、ショーウィンドウに並んでいる品揃えは極めて薄く、
且つデタラメで、どうやらソ連崩壊後にこの国を襲ったという“物不足”は本当らしい。

キューバ人のカップルに音楽のことを聞くと、CDショップに寄ってくれて、流行のCDを
教えてくれたり、途中、中華街やマーケットを案内してくれたりと、やたら親切である。
そうしてひとしきり街見物をした後に辿り着いたのは、青い建物だった。
“どこかで見た事あるな?” と思ったら、それは、以前何かの本で見かけた
「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」だった。

映画『ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ』に登場していたかどうかは、記憶が定か
ではないが(?)、中華街の近くにある元祖「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」だ。
看板の文字は中国語で、中に入ると中国人のおじいさん達が椅子に座って
のんびりと話しこんでいる。その中を通り過ぎると奥にバーがある。

ブエナ・ビスタ

「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」
モヒート
モヒート。

『ここで、フェスティバルをやってるの?』と尋ねる私の質問を無視するかのように、
カップルはバーに入って行く。 この時点で、ちょいと不審に思ったのだが、
のども渇いていたのでとりあえず中に入った。なんてことないバーである。
カップルは『モヒート飲む?』と尋ねるや否や、即攻で4人分を注文していた。

(*[注] モヒートとは、ハバナクラブに砂糖とミントの葉を入れて、ソーダで薄めたものにレモンを
  しぼったキューバの飲み物。さっぱりとしておいしい。)

再びフェスティバルの事を尋ねると、
『それは夜なのよ。今はここでサルサを踊りましょう!』と、いきなり狭いバーで
踊り始める。挙句に、『Let's dance !!』と引っ張られ一緒に踊らされる始末。
・・・・・オイオイ頼むよ〜!
この時点でカップルには遠慮が無くなり、アキヤンのタバコは勝手に吸い始めるは、
“コイーバ(キューバの葉巻)を買わないか?” と売り込み始めるはで大変だ。

『そんなもんはいらないよっ。』 と言っても時すでに遅し。ひとしきり葉巻の箱を
持って来たかと思うと、最後は『俺達は貧乏で、これを買ってくれないと食べ物が
買えないんだ。頼むよ。』
と泣き落としに入る。別に脅されているワケではないので、
危険な空気はない。私は、態度のコロコロ変わるそのカップルを眺めながら、
… ふ〜ん、こういう感じなのか… と、以前、友人から聞いた話を思い出していた。

「キューバは経済が破綻していて、貧乏でお店とか入りたくても入れない輩が
たくさんいて、皆、一緒に入ろうと寄ってくるんだよ… etc。」
“確かそんなことを言ってたよなぁ?”… などと考えていたら、目の前で必死で
話してるこの子達がおかしくも可哀想でもあり、不思議な気分になってくる。

まぁ散々、いろんな所に案内してくれたことだし、着いて早々具合悪くなるのも厭だし、
ガイド料だと思って、一番小さな箱の葉巻でも買ってやるか?そう思い直し、
『PARTAGAS』の小箱を言い値の半分で買った。

思ったより儲けにならず拍子抜けした感のカップル。
懲りずに、夜はフェスティバルに行くか? と聞いていたが、どうせフェスティバルなんか
無いのだろうし、兄貴が日本に居るとかいうのも嘘だろう。
名残惜しげなカップルを後に、ホテルに戻る事にする。
当然のごとく、飲み物の支払いは我々がさせられたのであった。

こうして、着いて早々、軽〜くボラれてCUBA(キューバ)の日々が始まった。
どうやらこの国も、カリブ海の法則、“話しかけてくる奴には下心がある”が
通用しそうだ。といっても、キューバ人はフレンドリーで明るいし、
別にしつこくないので、全然大丈夫。ジャマイカで緊張した糸が、
バルバドスですっかりほどけ、そしてまたCUBAでちょっと締まる…。
カリブの国はそれぞれ違った顔を持っていて面白い。

カリブ海最大の島CUBA。今回こに来たのは他でもない。
“写真撮影”と、かの有名な“「Tropicana」のショー”を観る為である。
島国なので当然サーフィンも出来るのだろうが、“絵図ら”が良いのは、やはり首都
HAVANA(ハバナ)であろうということで、サーフ・ボードはホテルに預けっぱなし。
5日間という予定で海まで行くのはしんどい。

ホテルも旧市街に近く、観光にも便利な「Parque Central」にした。
CUBAにはアパートメントと呼ばれる、地元民経営の家をB&Bタイプの宿にしたものがあり、
安くてそれなりに面白そうなのだが、今回はパス。
あくまで、「快適なホテル・ライフと写真撮影&キャバレーの旅」というテーマの
CUBA入りなのである。
車
路地に止まっている車。

HAVANAの町中には、
アメリカン・グラフィティのような
1950年代の車が走り回っている。
1959年の革命以降は、アメリカと国交断絶が
続いているので、ここで走っている車は、
すべてそれ以前のもの。
動いているのも不思議なくらい古い
車だが、タクシーとしても人気が
あるらしい。

普通車のタクシーの運転手曰く、『あんなのは見た目だけさ。1週間も乗れば、
あっちが壊れ、こっちが壊れで、やってらんないよ!』

部品の交換も、物が無く、違う車のパーツやエンジンをつけたりと大変だと言う。

『違うエンジン乗っけたりするのは違法じゃないの?』 と聞くと、
『それは運次第さ。人生はゲームみたいなもんだ。見つからなければOKだし、
 見つかれば、それはゲームに負けたってわけだ。』
という答えが返ってきた。
この国は何かとリスクは自分で負うものらしい。

街を歩いていると、しょっちゅう、『シガー?』とか『コイバ?』と声がかかる。
『コイーバ』は、言わずと知れた世界的に有名な葉巻。この地の名産物である。
この国は喫煙者には天国だ。ほとんど吸えない所は無い。
ここ数年ですっかり嫌煙ブームが巻き起こったアメリカとは偉い違いだ。

ご存知の通り、今やアメリカでは公共の場は勿論のこと、レストランはすべて禁煙と
なっている。(そのくせ、世界中で売ってるタバコはほとんどアメリカ産。
自分の所で吸うのはダメだが、他の国に売るのは良いらしい。) その点、
さすが反アメリカと言うべきか(?)、はたまた、国の名産が葉巻だからなのか、
CUBAは喫煙には寛大だ。

近代的な空港に降り立って早々驚いたのは、入国審査の時。
飛行機から降りた途端に、パイロットやスチュワーデスが入国審査のライン待ちを
しながらタバコを吸い出したのだ。よく見ると、我々の前で、入国審査を受けている
女の人もタバコを吸いながら入国審査官と話している。…凄い。
世界広しと言えど、今時、入国審査の場所でタバコが吸える国なんぞ、
ほとんど無いのではなかろうか?

コイーバ
早速、「COHIBA」を吸ってみる。
さすが香りも良く、おいしい。
ゲバラ
Che GuevaraのTシャツ。

CUBAの有名人と言えばヘミングウェイと、Che Guebara(チェ・ゲバラ)
2人共キューバ人ではないのだが、街中にはヘミングウェイにまつわる店や
ホテルが立派に観光地化されてるし、革命でカストロと共に戦った英雄ゲバラ
例の帽子を被った顔写真も、至る所で見かける。

しかし、アルゼンチン人であるゲバラが、なんでこんなに人気なのだろう…?!
確かに革命戦士であった彼の活躍は、歴史に残るものだろうが、彼のモチーフを
使ったグッズは、まるでアイドル並みに、この国のみやげ物売り場に陳列してある。

思うに…、ゲバラは“顔が良かった”のだろう。
だって、どう考えてもカストロのTシャツは着たくないし(政治色強すぎ!)、
やっぱりゲバラの方がカッコイイもの。人は見た目。カッコイイ奴はなにかと得である。

さて、今回の目的の1つだった「Tropicana(トロピカーナ)」のショーだが、
それはそれは豪華で素晴らしいものであった。
トロピカーナ
中南米最大のキャバレー。
「Tropicana」のショー。

1939年以来、興行されている
そのキャバレー・ショーは、
ラテン音楽に乗って、
豪華絢爛な衣装を来た歌手や、
ダンサーによる見ごたえ十分のショー。
オープン・エアーの空間に造られた
ステージも、一層、雰囲気を出している。

ヨーロッパ+アフリカ文化の融合で
生まれたラテン・リズムは、ダンスなどの
娯楽と共に出来上がったもの。ステージの派手さとダンサー達の乗りの良さは、
映画「星の王子NYに行く」の仮想の王国のパーティ・シーン(憶えてる?)を
彷彿させる。歌あり踊りありの2時間は、見て良し、聞いて良しの2拍子が揃った
大満足のショーだった。

CUBAには、音楽が溢れている。
レストランは勿論のこと、ボロボロの路地や建物の中からは、ラテン音楽が鳴り響き、
音楽好きにはたまらない。マンボ、ルンバ、チャチャチャ、ボレロ、ソン、ハバネラ…、
すべてキューバで生まれたリズムである。未だ若者がそれらを踊って歌って
盛り上がっているというのも凄い。

同じ島国でも、演歌、浪花節、詩吟、三味線…などで踊り狂う日本の若者というのは
あまり見かけないので、この国には、文化が世代を超えて確実に受け継がれている
と言えるだろう。
ばあさん
道端で葉巻を吸うばあさん。
写真を撮ると『1$よこせ』と言う。
これは立派な彼女のビジネスなのだ。


花売り
カテドラル周辺の花売り娘達。

そして、もう一つの目的であった“写真撮影”
滞在中1日だけは雨だったが、後は、青空が広がるさわやかな天気で、
ウロつくのには最適。写真も気持ちよく撮れる。
特に面白かったのは、なんといっても、La HAVANA Viejaと呼ばれる旧市街

400年にも渡るスペインの入植時代を経て、1920年代に「カリブ海のモンテカルロ」と
呼ばれるほど栄えた街HAVANA。その建物も今や朽ち果てている。
1959年の革命戦争以来辿った社会主義国の道も、ソ連崩壊後はより一層、
深刻な経済困難に陥いってしまったようだ。

しかし皮肉にも、その経済停滞により修復出来ないままの街並みは、
巨大なオールド・コロニアル・シティとなり、観光するには絶好のビジュアルとなっている。
近年は観光業で活気を取り戻しつつあり、国を挙げての$獲得に必死である。
観光にまつわるもの(ホテル、レストラン等)はすべて$払い。

観光客には安く感じられる物価も、キューバ人には大変なのではないか?と、
常々疑問だったのだが、それも、ある日、街の映画館に入った時に解決した。
地元キューバ人と観光客とでは、破格に値段が違うのである!
注意してみてみると、乗り物、食べ物すべてにおいてそうだった。
考えてみれば当然だが、CUBAには2つの顔があった。

面白かったのは、カテドラル周辺にいるばあさん達。
通りを歩いている時、葉巻をプハァ〜と吸うばあさんの姿を見た時には驚いた。
なんか、もう、ビジュアル的に強烈なインパクトがあるのだ!
思わず写真を撮ろうとすると、『1$(ワン・ダラ〜)!!』と叫ぶ。

隠し撮りしようとしても、すぐ傍に別のばあさんが、見張り兼マネージャーの様に
立って邪魔をするのでうまく撮れない。面白いので1$払って見ると、
にっこり笑顔でポーズまで取ってくれる。どうやらこれは立派な彼女のビジネスらしい。
ちなみに2枚目を撮ろうとすると、また『ワン・ダラ〜!』と叫ぶ。
1枚1$…。しっかりしてる。この歳でモデル業が成り立つ国も珍しい。

タクシー
自転車タクシー。
子供
明るい子供達。
手製のスケーター。

建前上は、アメリカ人は、入国出来ないことになってはいるが、
現地に行くと、割りと見かける。(カナダやジャマイカ経由で入るらしい)
それでもカナダ人やヨーロッパ人の方が断然多いように感じた。
治安も良く、夜は灯りが少なくて恐ろしいほど暗いが、平気で歩けるのも意外だった。
旧市街の路地に座って、道行く人を眺めるだけでも興味深い。

路地で見かける子供達は皆、もの凄く明るい。
どうやって遊んでいるのか?と見てみると、逆立ちしたり、ビー玉やベーゴマで
遊んでいたりする。たまに遠くからガラガラガラ〜〜ッともの凄い音がする時は、
決まって子供達が、手製のスケーター(木製である。なんと自分で作っていた!)に
乗って集団で駆け抜けていく…。この地にTVゲームが入る日はあるのだろうか?

ここにはマクドナルドの看板も、ショッピング・モールの類も一切無い。
極端な物不足と経済破綻の中で憂鬱を抱えながらも、
人々はラテン音楽のリズムと共に、明るく逞しく生きていた。
30年後には、古いアメリカ車も、もう走っていないだろう。

2003年2月。我々が観たHAVANAは、
過去の歴史と不安定な未来が交差してきらめく点のような街だった。

PREV  NEXT

BACK