Vol.81 『南アフリカへの旅』
 2003年2月14日

“自分には『出来ること』『出来ないこと』がある”。
そう感じるようになったのは、たぶん30代を超えた辺りからだったように思う。

でも本当は、『出来る』 『出来ない』というのは主観の問題であって、
現実には物事を “100%不可能” と言い切ることは難しい。
だから、“自分には『出来ると思うこと』『出来ないと思うこと』がある”
といった方が正しいのだろう。

10代、20代はそう考える事は少なかった。
その頃の自分にとって、「人生の時間」は無限大に感じられたし、
何事もやってみなければわからないという不確定な未来を、
今よりもずーっと信じていたような気がする。

その昔、福岡の片田舎に生まれた私の周りには、物心つくころには、
すでに『出来ないと思う』人種が登場していた。
それはご多分に漏れず、最初は親だった。
何かやろうとするたびに横槍を入れられて憤慨していた自分が思い出される。

私はかなり早熟なマセた子供で、親の言う事など、鼻から信じていなかった。
言う事を聞くどころか、早く自立できる歳になって社会で自由に生きることばかりを
夢想していた。だから、未だにいい年こいて特別な理由も無く(家業を継ぐとか、
病気の親の面倒を見るとか…)親元で暮らしている人を見ると、心底驚いてしまう。

今になって思えば、あの頃の両親の干渉や小言も、子を思う余りの親心と
理解出来るのだが、当時は、かなり理不尽に思ったものだった。
親の言うとおり生きても、うまくいって親と同じ人生、もしくはそれ以下に小さく
固まってしまうような気がして、まっぴらごめんだった。
(誤解のないよう言っておくけど、両親のことはとても尊敬している。
 ただ、子供ってもんはそういうものだということです。)

中学生から高校にかけては、田舎特有の “ヤンキー達”(今もいるのかな?)が、
すでに 「俺も歳だからさぁ。そろそろ落ち着いて…。」 などとのたまって、
早々と『出来ないと思う』人に名乗りをあげていたし、受験と就職という2大苦で挫折して、
「どうせ、俺(私)の人生こんなもんだし派」に入る人も多かった。
特に日本の女性には、「結婚」 「出産」という免罪符がいまだ存在しているので、
それを機会に、『出来ないと思う』人の数も増大していくようだった。

それでは何故『出来ないと思う』のか?

人は誰しも、歳をとると、過去の経験の中で「出来なかった事」というのを
いくつも体験していく。一つ一つは大した事でなくとも、積み重なると大そうなモンが
出来上がるのだ。それが「出来ると信じる気持ち」を、シズシズと破壊していくのである。
そのうちに、何かをやってみる前に『出来ないと思う』という癖が出来上がる。

確かに、人間失敗したら恥ずかしいしなんだか損するような気持ちになるものだ。
だが、一体全体いつからそんなこと思うようになったんだろうね?
少なくとも、子供の頃はなかったような気がする。

それもこれも、きっと「人生には限りがある」からだと思う。
もし、人間が200年くらい生きれたら、もっとゆっくり長いスパンで自分の人生を
捕らえる事ができるのに…。そういうことを考えると、本当に面倒くさい。
この歳になってつくづく感じるのは、人生は思ったより短い ということだ。

『出来ると思う』 のも 『出来ないと思う』 のも人の勝手だが、
この地球上で生きる人間にとって、唯一、平等なことがある。
それは、“人は必ず死ぬ” という事実だ。
どんなに人格者であろうと最低の奴であろうと、財力があろうがなかろうが、
マイケル・ジャクソンやエリザベス・テーラーしかり、顔や体は変えられても、
死だけは逃れる事が出来ないものなのである。

だから本当は 『出来ると思う』 ことや 『出来ないと思う』 ことが重要なのではなく、
「人生には限りがある」というのを自覚しておくことが大事なのではなかろうか?

・・・・と随分前置きが長かったが、只今南アフリカに向かっている途中である。
サーフィンのことを考えると、これからの季節、暖かくて波が良いのは南半球。
ということは、必然的に残すところは南アフリカになるのである。

しかし… 長い。長過ぎる!!
キューバを出発したのが3日前。ジャマイカで乗り換えてそのまま夜マイアミで寿司でも
食べてのんびり〜の予定が、ジャマイカ便が遅れたことにより、マイアミ到着は深夜に
なってしまった。“寿司の夢”破れる…。グスッ。
そのままレンタカーを借り、空港に程近いホテルにチェックイン。
この日は空腹を抱えたまま、疲れの余りホテルでダウン。

ブエナ・ビスタ
『ブエナ・ビスタ』のおじいちゃんと。
たまたま飛行機が一緒でした。
MIAMI
夜のMIAMI

翌日朝早くから、写真を現像に出したり、必要な物を買い出したり、不要な物を
日本に送ったりと、まるでミッション・イン・ポッシブルのように動きまくった。
都会でしか出来ない事というのはたくさんあるものだ。

日本食
Miamiにある「日本食料品店」
tel (305)-861-0143
日本食
オーナーも従業員さんも皆親切。
ありがとうございました!!

ひととおり用事を済ませると、またまたダッシュで、その名も「日本食料品店」へ。
日本の単行本やビデオもあり、食品も充実の品揃え。宅急便も出せる便利さだ。
海外にこういうお店があると、本当にうれしくなる。
しかも、このお店の隅にはカウンターがあって、オーナーが寿司を握ってくれる。
おいしい御寿司が低価格で食べれて最高!(カレーライスや丼モノもある。)

久しぶりのお宝、日本食材の山に目がくらみそうになるも、
限られた荷物で動く身の上としては、買える量に制限がある。
とりあえず荷物の中に詰めるだけ詰めることにする。
途中、時間が無くなり、お店のスタッフの方にまで詰めるの手伝ってもらったりして…。
(本当にお世話かけました。ありがとう!)
ダッシュで夕焼に染まるマイアミの街を背に、空港に向けてひた走る。
そのまま飛行機に飛び乗り一路、ロンドンへ。

久しぶりに乗った「ブリティッシュ・エアー」は素晴らしかった。
心配していたロング・フライトも快適そのもの。料理もおいしかったし、座席シートもいい感じ。
TV画面も充実していて、16チャンネルもの映画チャンネルがある。おかげで、寝れなくて
困ったけど…。そういえば、昔、「ヴァージン・エアー」との過酷な競争の記事を読んだことを
思い出して納得。自由競争万歳!次は是非、「ヴァージン」にも乗ってみたい。

物を破壊しまくり流行モンはひと通り取り揃えました!っといったかんじの映画
『XXX(トリプルX)』を4回程、繰り返し観ているうちに(途中、何度も寝てしまった)
ロンドンに到着。午前10時。出発は午後8:35分だからまだ随分時間がある。


ロンドン

London
TEL
なんと!「インターネット公衆電話」だ。
世の中進んでる…。日本も今時こうなのか??

アキヤンはロンドンが初めてだったらしく、落ち着かない様子。
ヒースロー空港は広くお店もいっぱい。殆んど田舎モン状態でウロウロしていた。
なんだったら時間あるし、外にでも出てみる?と、一瞬外に出た瞬間、
ビュ〜っと冷たい風が顔を切る。「ヒェ〜ッ…。」 吐く息も白い。
そう、ここは冬であった。思わずマッハ1秒くらいのスピードで空港内に戻る。
久しぶりに感じた冬の温度におののいてしまった。

ここは、おとなしく空港内で過ごす事にしよう。そう考えを改めたものの、
待ち時間は果てしなく長い。時間を持て余して困リ果てた頃、
「そうだ!サクララウンジ (*JALのラウンジ)に行こうではないかっ!」と思い立ち、
『JALカード』を握り締め、「サクララウンジ」へと向かったのであった。

ラウンジ受付のお姉さんは、いつもの笑顔で迎えてくれた。
「本日はどちらまで?」と聞かれ、「パリです。」とこちらも笑顔で答える。
「それでは航空券を。」というので、「いえ、それがJALじゃないんです。」
答えると、「あっ、それではJALでこちらまでいらしたのですね?」と聞かれる。
「いえいえ、BAです。」と答えると、お姉さんの顔は多少こわばり、
「あ〜それではファーストクラスで?」と聞くので、「いいえー、今回はエコノミー
なんですよ。」
と答えた時には、不信で一杯の顔になっていた(笑)。

当たり前である。本来「サクララウンジ」はJALのビジネス&ファースト・クラス用の
ラウンジなので、他の航空会社の、しかもエコノミーの客となれば、まったく
およびではないのだ。でも、こちらもそれば重々承知のこと。
あわよくば、ラウンジで日本の雑誌と抹茶とあられにでもあづかれれば(?)と
虫のいいことを思っていただけである。

しばらく悩んだお姉さんは、「それでは少々お待ちください」と言うと、
コンピューターの画面をカチャカチャとしばらく打ったかと思うと
(過去の搭乗記録でも調べてんのかなぁ…??)、おもむろに、
「わかりました。それではごゆっくりどーぞ。」と通してくれた。
なんかわかんないけど、ラッキー!! 

ラウンジには誰も居ない。きっとこの時間に離発着する便が無いのだろう。
おかげでノビノビしまくった。日本の新聞も久しぶりに隅から隅まで読んでみたが、
相変わらず暗いことしか書いてない。こんなつまんない事ばっかり書いてたら、
今時の人は、あんまり新聞読まないのかもなぁ…などと余計なこと考えてたら、
ようやく搭乗時間となる。

ロンドンからパリまでは1時間10分のフライト。
国内旅行のようなもんである。ただし、「エアー・フランス」の飛行機、エア・バスは
最低であった。フランス人は物持ちが良いのか(?)、こんな古い飛行機なんぞ、
中南米でさえ飛んでないと思う。しかも満席で、身動きとれず。
それでもなんとか乗り込み耐えているが、一向に飛ぶ気配がない。
そのうち機材の故障のアナウンスが流れてきた。

『機材の故障で… etc。』 「出た〜!」思わず叫んでしまった。
そう、「エアー・フランス」はこれが多いから嫌いなのである。
過去に何度か「エアー・フランス」に乗ったことがあるのだが、もう、本当に多い。
その度に、二度と乗るもんかっ!と思うのだが、なぜか、行きがかり上、
“「エアー・フランス」しか便が無い”ことが多いのだ。(勿論、今回も含む)

機内の不快指数が150%を切った頃、ようやく飛行機は飛んだ。
この時点でパリでゆっくり夕飯を食べる時間は無くなり、到着したのは夜11時過ぎ。
南アフリカ便の搭乗時間まで、あと30分しかない。
あせって搭乗口に行くと、なんと!出発時刻が深夜1時に変更になっていた。
「えーーっ!」 またしても「エアー・フランス」である。
配給
エアー・フランスの搭乗口に
並んで、配給を待つ人々。

搭乗口には、長蛇の列が…。
よく見ると、食物の配給らしい。
確かに、こんな時間じゃ、レストランも
閉まっているし、お腹も空いている。
配給されてるのはサンドイッチと飲み物。
愛想のないお姉さんがけだるく
配っていた。

しかたなく配給にあずかり、本でも
読んで待つことにする。
…が、その後時間になっても搭乗口は空かない。またまた遅れているらしい。
そのうちシャルル・ドゴール空港の電気もあちこち消え始め、搭乗待合室に
待たされている客の疲労に追い討ちをかける。
結局、待つこと3時間。深夜3時になってようやく搭乗が始まった。

乗った飛行機は想像通りのオンボロ機で、やはり満席。
ぐったりしたまま10時間半のフライトをやり過ごし、意識朦朧とした頃に、
ようやく南アフリカJohannesburg(ヨハネスバーグ)に到着したのであった。

ヨハネスブルグ
Johannesborg
この後、大都会が見えてくる。
空港の税関の進み具合は恐ろしく遅い。
我々はここから、更に国内線に
乗り換えなければならない。
案の定、次の乗り換え便どころか、
その次の乗り換え便にも乗り遅れていた。

国際空港から一歩外に出ると、陽射しは暑い。
首から政府公認の札をぶらさげたポーターが
大勢寄ってくるが、よく見ると、国内線は
すぐ隣である。自分達で次の搭乗口まで
荷物を運ぶ。

ここから最終搭乗地Port Elizabeth(ポート・エリザベス)に向かうのだ。
この分じゃ、到着するのは夜になりそうだ。
なんとかチェックインして、今は、その飛行機に乗ったところなのである。
余りの長さに退屈したので、飛行機の中で、これを書いている次第であった。
…ふう。書いていても長い。

キューバ〜マイアミ〜ロンドン〜パリと、毎日違う国で夜を過ごして、
丸3日もかかってようやく到着しようとしている。
こんなに長い時間をかけて、一体どこに向かっているのかって??

それは・・・・・、かの有名な J-Bay (ジェフリーズ・ベイ)なのである!!
世界最高のライトハンダーというこの波にチャレンジしようというわけ。
無謀とも言えるこの行動も、つまるところ自分達の歳を考えてのことだ。

「いつかは J-Bay …。」
旅をしている間、よく聞いたセリフだ。メキシコのCABOで出会った
プロのロング・ボーダー達も、世界中でどこが一番素晴らしい波か?との質問に、
皆決まって「Jeffrey's Bay」と答えていた。過去、ロングの世界大会がここで
開かれているせいもあるかもしれない。

雑誌で見るたび、いつかは行ってみたいと思っていたのだが、
実力はさておき、ふと自分の年齢を振り返った時に、
“じゃぁ、何時いけるんだ?” と思うと疑問が膨らむ。2年後? 3年後…?
サーフィンの腕は上達しても、寄る歳波には勝てない。
ええい、ままよっ! と、向かっているのである。

機内で『SURFING a GO-GO』を開いてみると、凄い波が載っている。
チューブのグリグリの奴。う〜〜〜ん…。
いつも思うのだけど、どうして本や雑誌に載ってる
波はこんなんばっかなの?そんなに皆、サーフィンが上手いのか??
上手い人は、こういう写真を見ると、きっとメラメラと燃えるのだろう。

どこかに『世界の楽しい波乗り情報 <腰胸〜頭まで>』とか、
『SURFING a GO-GO 海外版 <膝波編>』とか、そんなものが無いもんだろうか?
なぁ〜んて、そんなことを考えてるのは私ぐらいのもんかなぁ…??

J-Bayの凄い波を見ても全然燃えない。
勿論乗れる実力もないし、乗れる気もしない。せいぜい入ることぐらいが関の山。
だって、スーパー・チューブスの波に乗ってる自分の姿なんて
想像すら出来ないもの。思ってもいないことが出来るということは
ほとんど無いので、将来乗れるようになることもないのだろう。

人間『出来ると思えないこと』は、不安にもなりゃしない。これホント!
だって、今更、『もし、オリンピックの200メートル走で金メダル獲れたらどうしよう?』とか、
『もし、ミス・ユニバースで優勝したらどうしようかしらん?』とか、どう転んでも
不安にすらなれないものは多い。つまり、不安になるには、本当は、
『出来ると思う』心の裏付けがないとダメなのである。

「いやぁ〜、スゴイ波だよ、アキヤン。ハハハ…。」と隣を見ると、
なにやら不安気に、必死でJ-Bayの波の写真を見つめている奴がいる。
どうやら、彼にとってはこの波は “不安になれる” ものらしい…。

なんだか、無性にうらやましい。

本当は、人生という時間に限りはあっても、想像力に限りは無いはずだ。
「不安」 と 「未知なる可能性」 とは比例している。
ということは、人間にとって一番恐ろしいのは、
不安も無いけど可能性も無いという状態なのかもしれない。

ポート・エリザベス
Port Elizabeth
見えてきた。
思ったより大きな町。
そんなことを考えていたら、
機内アナウンスが流れてきた。
どうやらポート・エリザベスに到着しそうだ。
このPCも閉じろと、たった今
スチュワーデスのお姉さんに
注意されたばかりである。

噂によると、J-Bayは、かなりの気合が
いるとこらしい。
さて、この場合、気合のない我々はどうなるのか?
水はどの程度冷たいのか?
(フル・スーツは持っていない)
果たして、私が入れる波はあるのか?
不安はテンコ盛りだが、泣いても笑っても、もう着いちゃったもんね。
次はJ-Bayだ!!

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