Mail from Yume and Akiyan

Vol.96 『Bhaktapur』
 2003年5月16日

チトワンを満喫した我ら3人組は、そのまま車で
古都 Bhaktapur(バクタプル)に向かった。
途中事故渋滞に巻き込まれ足止めをくらうも、なんとか5時間程で到着。

ここは、15世紀から18世紀にかけて首都のひとつとして発展を遂げた所で、
“帰依者の町” という意味の名を持つ古い都。騒がしいカトマンドゥパダン
避けて、今回は古都でのんびりしようという算段なのだ。

寺院

Durbar Square
寺院の壁
寺院の壁にはたくさんのレリーフが…。

バクタプルは静かな街だ。
カトマンドゥから15kmしか離れていないというのに、訪れる観光客の姿も少ないし、
町の中心地まで入り込む車も稀。おかげでカトマンドゥに比べて空気も綺麗で
散歩するにも楽しい。昔ながらの風情溢れる街並みを眺められる場所である。

トウマディー広場
Taumadhi Square
我々の泊まったゲストハウスはここ。
「Tammadi Square(トウマディー広場)」近くの
感じのいい宿にチェック・イン。
1階は同オーナー経営のマンダラ屋だ。
NEPALの宿のオーナーが大抵そうで
あるように、ここのオーナーも大そう親切だ。
部屋に3つある大きな木枠の窓を開くと、
広場全体が見渡せる。
いい感じ…。

映画『リトル・ブッダ』の撮影にも使われた
というこの街は、旧王宮や寺院を取り囲む
ようにして赤レンガ造りの建物が立ち並らんでいる古い都。

異国情緒にあるれる街のたたずまいは眺めるには最高だが、
実際にここで暮らす住民にとっては、文化財に指定されているので、
下手に家や生活様式を変えられず困っているとの噂もあるとかないとか…?
今後の問題はいろいろ抱えているものの、我々外国人にとっては、
古き良きネワール文化を感じられる貴重な街なのは確かである。

カフェにて

カフェでネパール・ティーを飲む。
笛売り
“笛売り”のおじさん。目が会うと
ピロピロリ〜と笛を吹いてアピール。

街をブラブラしてみる。
石畳の道。狭い空間にぎっしりと隙間無く、まるでマッチ箱のように建てられた
レンガ造りの建物。広場やバザールを中心に迷路のように広がる路地…。
バクタプルの街中を歩いていると、一瞬、どこか中世ヨーロッパの街にいるか
のような錯覚を起こす時がある。それは『古都』という場所柄のせいかもしれない。

『古都』は世界中どこも似ている
石畳、石で出来た家、狭い入り口、街中に鳥がいて、年寄りがのんびり日向ぼっこ
していて、路地裏は日陰でヒンヤリと静かで、どこか遠くで話し声がする…。
なんというか “人々が静かに息して暮らしてる” ような寂しい雰囲気がするものだ。
最初、この街もそう感じた。

焼き物作り
裏通りでは焼き物をつくる人々の姿が見られる。
マンダラ
マンダラ描きのおじさん。
もの凄く細かい作業だ。

しかし、路地に一歩入れば、やっぱりここはアジアなのだと思い出す。
人が多いのだ! 道行く人はネワール人やネパール人がほとんど。
たまにチベット系の顔も見える。見知らぬ他人に違いないそれらの人々の顔の中に、
“見知った人” の気配を感じてしまうのは、自分が日本人だからに違いない。

実際は生まれ育った環境だって違うし、メンタリティーだってまったく違うかも
しれないのに “見た目が似ている!” という事実は、無条件にホッとした
懐かしさを憶えるから不思議だ(笑)。

足元は大抵ゴムぞうり。足は埃だらけで真っ黒。
家の前でタライを使って洗濯をしている女の人。
赤ん坊をあやすお母さん。家の前でのどかに話し込むじいさん達。
道端で糸巻き車を回すおばあさん。走り回る子供達。
陶器作りに励むおじさん。それを日向で乾かすおばさん。
自転車の荷台に野菜を乗っけて売る男…。

のどかそのものの光景。街には年寄りと子供が多い。
子供は汚いけど楽しそう。
年寄りも実にいい顔してる。
まるで『長屋』がそのまま街になったような感じだ。極めてアジア的!

古い街の中に古い生活スタイルのまま生きている人々。
まるで “世界遺産の街” に迷い込んだみたいだ。

街の中

街の中。
店番のおじいさん
店番するじいさん。
もともと(というか、今も?)NEPALは「大家族制」。
この国にしばらくいると、ネパール人の思っている“人との距離感”が我々とは
違うことに気がつく。つまり、「近すぎる!」のである。

彼らは大家族の中で、もともとプライバシーなんかない生活を送っているので、
戦後勝手に西洋の真似して核家族化した日本人の現代人間模様など
わかりゃしないのだろうが、それにしても近づき過ぎっ!と思うことは多々ある。
そしてそれは田舎に行けば行くほど顕著になる。

「大家族制」って面倒なんだろうなぁ?そう思う反面、たまに見る地元の人の笑顔が、
“日本人がもう出来なくなった笑顔”だったりするとヤラれる。
「大自然の中で神を信じ家族助け合って生きている…。」
そんな国の人々だけが出来る笑顔で、彼らはしばし笑う。
路地裏
路地裏。

子供達

人懐っこい子供達。
「どこから来たの?」と明るく尋ねられる。

街が夕闇に染まる頃、広場には鐘の音が響き始める。
「リンリン… トトトン… 。」遠くから鈴や太鼓の音も聞こえてくる。
人々の静かなざわめき…。どこか遠い中世の町にタイムスリップしたみたいだ。

夜8時も過ぎると、街は真っ暗。
完璧な静寂に包まれる。
街の静寂さは、大自然の中の静寂とはまた違う。

朝、昼、夕方、夜… と刻々と表情を変えていく街。
何世紀もの間、何千回も繰りかえされたであろうこの街の、
当たり前の景色の中に、ほんのひと時、異邦人として身をまかせてみた3人。
なにか懐かしい空気が確実に体の中に入った気がした。

*          *          *          *          *

古都でのんびりした翌日、我々は遂に、喧騒の都市カトマンドゥへと戻ってきた。
今や定宿となってしまった(?)『Hotel Nature』に再びチェック・イン。
久しぶりの都市にちょっと興奮気味。

「カ〜ッ、ペッ!」とおやじが道路にツバを吐いている。
NEPALで見慣れたこの風景(本当に多い!)もあとわずか…。
楽しかった3人組での旅もここでお終い。
ここから我々はロンドンへ。NOBU日本に帰るのである。
本当にあっという間だった。
旧暦新年
Kathmandu
今年はネパール暦2060年!

その昔 “ヒッピー天国” だったカトマンドゥ
様々な社会情勢で変化したものの、
今も相変わらず、世界中から貧乏旅行者が
集まる不思議ワールドであることは
間違いない。

そんな “不思議ワールド” を、カフェに、
ショッピングにと大いに楽しんで、
さあ、いよいよ今日は出国の日だ!という最終日。
我々より6時間ほどフライトの遅いNOBUに見送られ空港へと向かったのだが…?

ロイヤル・ネパールの空港カウンターには、無常にも、フライトが遅れるとの張り紙が…。
「ギャ〜困る〜〜!!」
ちびまる子ちゃんのように顔に斜線が入る2人。

だって、我々はここからカトマンドゥデリーモーリシャスパリロンドンと、
そのまま乗り継いで行くつもりだったのだ!ここで乗り遅れたらすべての便に
遅れることになる!! 必死の交渉もむなしく、飛ばないモンは飛ばない。
しかも、フライトの変更は街中のオフィスに行かないと出来ないと言われる。

ボー然としたまま、タクシーに飛び乗り、ロイヤル・ネパール航空に行く。
「なんとかしてくれぇ〜。」 と交渉して待たされること1時間。
その結果、事態は意外な展開に…。

無愛想な職員のおばさん曰く、「今日はどこでも好きな所にお泊りください。
宿泊代、食事代はすべてこちらで出させてもらいます。そうして、明日の
ロンドン行きに間に合うよう、デリーからパリに飛べるチケットを用意します。」

と言うのである!! 我々にとっては、モーリシャスを経由せず、
長いトランジットから開放されて、且つ、短縮した空路でロンドン入りができるという
最高の提案だった。しかもホテルは『ハイヤット・リージェンシー』だ!
まさに“災い転じて福となる”である。

再び『Hotel Nature』に向かい、「え〜っ、なんでまだ居るの?」と驚くNOBUを拾って、
一路『ハイヤット・リージェンシー』に向かう。
ハイヤット
ハイヤット・リージェンシーは
ネパールでもやはりハイヤットであった。

カトマンドゥでは珍しいアメリカ資本の
大型ホテル 『ハイヤット・リージェンシー』は、
高級感溢れる造りで、それはもう、
“しっかりとハイヤットしていた” のであった。
夜中にたびたび停電する(回復は早い)ことを
除けば、ここがNEPALだということも
忘れてしまいそうである。

ラッキーな夜に3人で乾杯!
おいしい食事に大満足した後、NOBU
日本に向けて帰っていった。
楽しかったね、NOBUちゃん。今度は旦那も連れて来いよ〜。

それにしてもあっという間の1ヶ月だったけど、NEPALは面白かった。
大自然にも感動した。物価も安い。人もいい…。
飛び交うハエはデカイし、足は常に汚れまくってたけど、
我々にとってこの国は“海が無いのにのんびりできる所”であった。

ナマステ、NEPAL。またいつか訪れたい。

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