Vol.99 『Canal City』 2003年6月5日 『世界は神が創ったが、オランダはオランダ人が創った』というのは、 オランダの有名な諺である。 13世紀頃、アムステル川の河口の湿地帯に人が住み始めた。 海面より低い土地への海水の侵入を防ぐ為、漁村の民はダムの建設を開始する。 ダムのおかげで発展した漁村は、その後貿易港となり、ヨーロッパ商業の
“アムステル川のダム”と、まんま ストレートな地名がついた Amsterdam。 17世紀以前にダム広場を中心に 出来上がっていた街は、17世紀以降、 樹木の年輪のように運河沿いに 扇状に広がっていった。 “運河の都(Canal City)”の誕生である。 昔、裕福な家には舟があったというから、 馬車しかなかった時代は舟の方がよっぽど快適だったことだろう。 家にも横付けできるし、運河沿いに移動すれば中心地には近い。 街の発展に伴って、まるで道路の建設のごとく運河を築いていったのも 納得できるというものだ。
現在のAmsterdamは コスモポリタン・シティである。 住民自体に外国人も多いし、バカンス間近 ということで観光客の数も半端じゃない。 中心地に行けば行くほどいつも人で 賑っている。街はそれぼど大きくなく、 ちょうど「渋谷」くらいの大きさだ。 十分都会だし、把握するのも比較的簡単 なので、快適なアーバン・ライフが楽しめている。
街の中には運河が流れていて、そこには絶えず船が行き交う。 運河に沿って建てられた16世紀の石造りの家並み、石畳の道路上には トラム(Tram)と呼ばれる路面電車と自転車、歩行者、そしてそれらに 遠慮するように走っている車…。 人々のスタイルは個性的でオシャレ。特に女の子が可愛い。 “さすがヨーロッパの女の子は綺麗だ”と納得したのはいいけれど、 服を買おうにもサイズが合わなくて困った。パンツなんてどんだけ 裾切ればいいわけ?っていうぐらい長い(笑)。 高級ブランド・ショップの類も無いし、流行も追ってないけど、 なんとなく街往く人々がカッコ良く見えるのは、所詮は体型の差なのか(?)、 こういう時、父親か母親どちらか1人でも外国人だったらよかったのにと思う。 まるで“オモチャ箱”のようなこの街の中には、60以上の美術館や博物館、 映画館、オペラハウス、高級デパート、レストラン、スーパー・マーケット、 動物園、公園、ストリップ劇場、『Coffee Shop』、『飾り窓』など、 ありとあらゆる娯楽の生産と消費が詰まっている。退屈とは無縁の街だ。
Amsterdamの運河の数は165本。そしてそれに架かる橋は大小合わせて その数なんと 約1300! にもおよぶらしい。今でも船が通るたびに 開閉している。有名な「マヘレの跳ね橋」も可愛くて感動したけれど、 家の近所の大きな橋が開閉するのに、偶然立ち会った時には驚いた。 …というか、実際、それは「橋」というにはあまりに「道路」的だったので、 自分でも、すっかり「道路」だと思い込んでいたのだ。 ある日、家の近くの運河を渡っている時のこと。 「カーン、カーン、カーン… 」 突然音が鳴り響くと、電車の踏み切りのような棒が降りてきて 通行止めとなった。“何事か?!”と思っていたら、見る見るうちに 目の前の道路が上がっていく…。
「お〜〜〜っ!」。 まるで “サンダーバード” の世界ではないかっ! ここまでいくと、これは「跳ね橋」というより「跳ね道路」の感覚である。 跳ね橋の開閉のスピードはこの間7秒くらい。 …意外と早い。 船が通り過ぎると、何事も無かったように元の道路橋に戻る。 街の中で「跳ね橋」の開閉を見かけるたびに、なんだか町全体に“カラクリ屋敷” みたいな“仕掛け”があるように思えて楽しくなってくる。
ところで、Amsterdamの名物と言えば、やはり「ボート・ハウス」。 運河沿いに路上駐車のように停泊しているハウスボートのことである。 ボートと言っても、ちゃんと電気も水道も電話も引かれていてる立派な住居だ。 中には水洗トイレも完備されて、船の往来の際、多少揺れることを除けば、 なかなか快適らしい。 庭やデッキまである豪華なものから、掘っ立て小屋に近いボロいものまで 個性豊かな様々なタイプの「ボート・ハウス」は、明らかにこの Canal Cityの景観に一役買っている。 ヨーロッパの中でも人口の多いこの街にとっては、住宅難は深刻な問題 だったらしく、1960年には、「ボート・ハウス」は国の法律で住居として 認められている。当時は急場しのぎの対策だったのだろうが、 現在は「ボート・ハウス」の人気が高まり、一説には購入すると マンションを買うより高い値がつくと聞く。 住人に言わせると、冬には運河が凍るほど寒くなるということだが、 その場合彼ら“水上生活者達”はどうするのだろうか? どちらにせよ、今のとこ、晴れた日デッキやボートの上で、気持ち良さげに、 ビールを飲んで日焼けしている姿を見ている限り、なんとも羨ましい気分に なるのであった。
オランダ人は昔から「水」をコントロールしてきた民族だ。 国土の4分の1が海抜0m以下のオランダでは、干拓工事で国土を造ってきた 歴史がある。国土の建設は「水」との闘いだったに違いない。 オランダのシンボルともいえる『風車』も、単なる粉挽きの為だけではなく、 もっと大事な役割、つまり、低地から排水する為にも必要なものだったらしい。 この国の国土干拓には『風車』の力が欠かせなかったのである。 (現在は、高度な排水システムで運河の水位を保っている。) 今日、オランダが、ヨーロッパ有数の農業国になったのも、こうして 長い「水」との闘いに勝ち残った故の産物だと言えるだろう。 特に花や植物などの園芸農産物の世界では輸出大国として有名だ。
Amsterdamから1時間ちょっとで行ける「キューケンホフ公園」。 32万m2の敷地内には、チューリップなど600万株以上の植物が植えられている。 様々な種類の色鮮やかなチューリップがそこら中に咲きまくる園内には 遊歩道もあり、ちょっとしたテーマパークだ。 花を見ながら1日ボーッとするには最適な所。 敷地内にはお土産様の花や球根も売られていて、それらはなんと世界中に 配送可能なのであった。まぁ、切花の輸出でも有名な国なので、よくよく 考えれば当たり前なのだが、「水」をコントロールした国民は、今では 「花の市場」もコントロールするに至っているみたいだ。 『風車』、『チューリップ』、『チーズ』…。 オランダの代名詞でもあるこれらはすべて、「水」と闘い コントロールして 国土を造りあげたからこそ、存在しているものなのであった。 それを考えると、例の『オランダはオランダ人が造った』という諺も、 まんざら外れてはいないのかもしれないなぁ…。 “運河の都”に暮らしながら、ふと、そんなことを考える日々である。 |