MAIL

Vol.106 『Lama tidak jumpa !!』
 2003年8月1日

見知らぬ場所に行くのと、見知った場所に行くのは、随分違う。
過去、数え切れない程訪れた島、BALI(バリ島)

この島は私にとって、もはや外国ではなく、『故郷』のようなもの。
“ Lama tidak jumpa ! (お久しぶり!)”
ようやくアジアン・パラダイスに帰ってきた。

オアフ島からグアム経由で、Ngura Rai(ングラ・ライ)空港に到着した時には、
すでに日はどっぷりと暮れていた。真っ暗闇の中に漂う懐かしい匂い。
空港には現地の友人が迎えてきてくれていた。
早速、いつもの隠れ家に…。

ムッとした暑い湿った空気を想像していたが、意外なほど涼しい。
そういえば、今は乾期だったと思い出す。
雨季には湿気と熱に溢れるこの島も、乾季はサラサラで過ごしやすくなる。

常夏のバリ島には、4月〜10月の乾季と、11月〜3月の雨季という
2つの季節がある。ただし、雨季といっても、コスタリカのように
一日中降り続けるわけではなく、夕方ザーッと降るくらい。
その他はたまに1時間程スコールが降る程度なので、さほど気にならない。

太平洋の楽園ハワイが、人々にとってある種の『憧れの島』だとしたら、
バリ島は、知らないうちに『魅せられる島』だと思う。
プールに浮かぶ花
BALIの花、“ジャプン”
それは波だったり、人だったり、のどかな
田園風景だったり、芸能&文化だったり、
はたまた高級リゾートだったりと、
人によって様々だ。

私が最初にこの島を訪れたのは、
確か80年代の後半だったと思う。
その当時のバリ島は、すでに
一部の人の間では知る人ぞ知る!
といった感じの不思議リゾートだった。
その頃、波乗りとも無縁だった私は、
観光がてらこのアジアの島に
立ち寄ったのだ。

その時最も印象に残ったのは、この島に注ぐ圧倒的な“”の量!
自称“亜熱帯植物フリーク”であった私にとって、バリ島に生い茂げるあらゆる
種類の“”と“”のコントラストは、あまりにも衝撃的で美しかった。

その“”が忘れがたく、何度も通ううちに、人や芸能、そして文化や宗教、
スパや高級リゾート… etc、多様なバリ島の魅力に次々と出会って、
ふと気がつくと、立派なリピーターになっていた。
花と植物
ガーデニング天国!
緑の葉
緑と光の競演。

南洋アジアの秘境の島から、一大リゾートへ…。近年、この島ほど短時間で
大きな変化をとげた場所は、世界的にも類をみないだろう。
「観光」という一大産業と共に、絶え間なく変化し続けたバリ島

外国人がもたらした「観光」化の波に、日本人以上に受動的で柔軟なこの島の
人々は、みごとに調和して反応していった。初めて訪れた頃からすでに、
バリ島は変わった。」というセリフはよく耳にしていたが、その後の変化の
スピードは想像を遥かに超えるものだった。

もともと『神様』を信じて、人々が静かに暮らしていた島。
ここに最初に訪れたのは、ご多分にもれず、ヨーロッパ人。植民地支配に慣れて
いた彼らも、初めてバリ島に出会った時には驚いたに違いない。
だって、そこは“神々と芸能の島”だったのだから…。

窓の外の風景
ベッドルームからの風景。
初期にたどり着いたヨーロッパ人に
アーティストが多かったことは、
バリニーズ(バリ人)にとっては、
ラッキーだったのかもしれない。
もともとあった宗教観とそれに伴う
芸能や文化…、それらに感動した
アーティスト達が、バリニーズに、
様々なインスピレーションや
アイディアを与えたからだ。
それらが現在の、絵画や踊りや工芸に
多大な影響を及ぼしたのは間違いない。

そうして初期のヨーロッパ人が、“南洋の楽園”としてスノッブな人々をこの島に
招きいれ、最初のリゾートSANUR(サヌール)が出来上がっていった。
その頃のバリ島は、さぞかし『粋』なものだったと思われる。

次に訪れたのはオーストラリア人。近隣の島ということもあり、波を求めて
サーファーが押し寄せ、KUTA(クタ)にロスメン(安宿)やワルン(屋台)が
作られて行く。その後、日本人、アメリカ人が押し寄せて、あっという間に
ビーチ沿いの村であったLEGIAN(レギャン)SEMINYAK(スミニャック)は、
まるで毎日が夏祭りの風体のごとく、怒涛のように店や宿が乱立していった。

そうこうしているうちに、この島がお金になる!と思ったインドネシア政府が、
巨大な資本を投じて、漁村を丸ごと買い上げ造ったのが、今や高級リゾートとして
名高い NUSA DUA(ヌサドゥア)。その波はJIMBARAN(ジンバラン)にまで
広がっていく。台湾人や韓国人など、同郷アジアからの観光客も増えた。

かつて、最も好きだった緑と芸術の村、UBUD(ウブドゥ)も変わった。
初めて訪れた頃、頭に大きな籠を乗せたおばあさんと道で出会ったことは
忘れられない。目が合った途端、立ち止まって、30秒くらいジッっと見詰められた
ことがある(きっと、外国人が珍しかったのだろう)。そののんびりした
島のスピードに、驚くと同時に大感動してしまった。しかし、そのウブドゥでさえ、
「観光」化の波は避けられなかったようだ。店やロスメン、そして高級ホテルの
乱立で、悲しいことに、当時の面影は無くなってしまった。

混雑するクタレギャン、その余波で広がっていくクロボカン
人工的なリゾート地ヌサドゥアジンバラン、観光地化が進むウブドゥ…。
滞在先は数あれど、私がもっとも落ち着くのはサヌールだ。

部屋

リラックス空間。
家にいる犬
愛犬?ドゥリー

バリ島で栄えある最初のリゾート地となったサヌールだが、他の地の「観光」化が
進むにつれ、次第にさびれていったのは否めない。しかしそのおかげで、
徹底的な「観光」化の波から逃れられ、幸福にも静寂を取り戻した村でもある。
外国人慣れしてるし、地元民の生活も根付いている。

初めて訪れる人や、島でビジネスに精を出す人ならともかく、
ひたすらのんびり、古き良き “オールド・バリ” を体感したい人には楽な場所。
バリ人の生活の基盤である首都DENPASAR(デンパサール)にも近く、
ほど良く暮らしやすい村だ。

久しぶりに訪れたサヌールは、新しい道が出来ていて、新たなサーフ・ポイントが
次々見つかっていて、人気のサーフ・ポイントになっていた。

看板
ワルン(茶屋)の看板。
ボード置き場
ボード置き場も完備。

もともと、ローカルのみ知る“シークレット・ポイント”は、残念ながら、
もはやシークレットでは無くなってしまったようだ。
中でもビーチは、グゥーフィー・ポイントの多いバリ島では珍しく、レギュラーの波。
昔なんにも無かったビーチ沿いには、すでに数件のワルンも登場していた。

本領発揮するとチューブになるここの波は、バリ島1番のレギュラーの波”
としてすっかり有名になったらしく、いつもプロ・サーファーで混雑しているらしい。
早速、チェックに行く。

写真
ワルンに飾られていたビーチの波。
( photo by Kenji.)
アキヤン
レギュラーの波に、感動する奴。

この日はたまたま、クタで大会が行われていた為、ラッキーなことに空いていた。
ハワイで最後はイマイチいい波が立たず、いい波に飢えていたアキヤンは、
「久しぶりにいい波乗ったぁ〜。」と大喜び。でも、結構掘れる波で、
もろショート・ボード向け。私にはちょっと厳しかった…。

アジアのビーチ
beach in Asia 。
ウルワツ
バリの波と言えばウルワツ

バリ島の波はパワフルで掘れる波が多く、ショート・ボードに適した波が多いという
イメージがある。見知ったこの島も、“波乗り”で来るのは今回が初めて。
どこかに、ロング・ボード向けのファン・ウェイブはないものか?

いやいや、きっとあるに違いない。それをこれから探すのだ!
なんといっても“波天国”の島なのだから…。

PREV  NEXT

BACK