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Vol.107 『近年BALI事情』![]() “旅をする”ということは、ある意味、“外の異空間に浸る”ということ。 そんな中で大事な要素は、やはり『治安』の良さだろう。 過去知っていた国の中で、バリ島ほど『治安』の良い島は無かったと思う。 昔から、人々が“楽園”を求めて集まるのは自然の摂理。 “昔は良かった…。”そんな年寄りじみた回顧主義に浸る暇もないほど、 バリ島の変化のスピードは凄まじかった。 世界各地から直行便が飛び交い、毎日膨大な数の人が訪れて、 どこまでも拡大していく「店」や「宿」、「高級リゾート」や「スパ」… etc。 3ヶ月も行かないでいると、その変化に驚かされる日々だった。 その反面、今だ昔からの宗教観や文化や風習が残っている島でもあり、 多大な変化はしていくものの、それはあくまでバリっぽさを残しつつ、 どこまでも突き進んでいったのである。“一体どこまでいくのだろう?”という 不安をよそに、奇跡的にどこまでも広がっていく街。 そしてそれを受け入れ、変化し続けた島の人々。 そんな奇跡の島を襲ったテロ事件。 去年の10月のことだから、まだまだ記憶に新しい。事件のあった当時、 我々はコスタリカに滞在していたので、インターネットでそのことを知り、 「よりによって何故バリ島に!?」と、衝撃を受けたのを憶えている。
久しぶりに訪れたクタは閑散としていた。 もっとも私自身、ここ5、6年はあまりの混雑振りに、ご飯を食べに行く以外は、 ほとんど足を踏み入れていなかった場所である。それにしても… !? 一時期の人込みや喧騒は、すっかりなくなり、街はガラガラ。 クロボカンに新しい店や、ヴィラが出来ているくらいで、クタだけではなく、 島全体の観光客の数も激変していた。ヌサドゥアの「グランド・ミラージュ」も 閉館してしまったし、店を持続できないで困っている人も多い。 ガソリンも電気代も値上がりして、一般のバリニーズは食べていくのがやっとだ。 外国人を笑顔と友情で受け入れ続けたバリニーズ、 「観光」と共に成長していたバリ島に、この事件が与えた打撃ははかりしれない。 遅ればせながら、多くの友人から当時の状況を聞けば聞くほど、 テロという名の暴力に、行き場のない悲しみと怒りを感じる。 事故で亡くなわれた方には、心から御冥福をお祈りします。
初めてバリ島に来た頃、よく遊んだクタやレギャン、スミニャック。 当時は信号も無く道も悪かったが、真っ暗闇のジャングルの様な島の中に、 まるで学園祭レベルの可愛い夜店が点在していて、毎日が夏祭り状態! “こんな場所があるなんて!”と、ワクワク、ドキドキ、本当に興奮したものだ。 “真っ暗闇の緑生い茂る中、ビーチに向かって、ガタガタ道をひたすら車で走る。 「本当にここだっけ?」と、ちょっと不安になる頃、遠くに怪しい灯りが見えると そこがダブルシックス(今もビーチ沿いに建つオープン・エアのクラブ)。 深夜1:00以降から、徐々にお洒落な人々で盛り上げっていくクラブ。 踊りつかれてホールを出ると、目の前はビーチ…。” そんな時代だった。 まだまだ田舎で、ちょっと横道にそれると、ローカルな人々の静かな暮らしが 垣間見れたし、ホッとするスペースも多かったように思う。 それでも、その頃出会ったクタのローカルは、すでに「昔のクタ・ビーチには亀が 来ていたんだよ。」と懐かしそうに語っていたし、当時の変貌振りについて、 「クタにはもう神様いなくなっちゃったみたい。お金が入っちゃったからね。 神様、お金になっちゃった…。」と嘆いていたのを思い出す。 私自身は、ある時期から、クタ方面には、ぱったり行かなくなってしまった。 車の渋滞にも辟易したし、「人」と「記号」のバランスが、完全にキャパ越えして しまったのだ。正直言って、飽きてしまったんだと思う。 それはちょうど田舎から東京に初めて出てきた頃、物珍しさで、暇さえあれば、 「渋谷」 「原宿」 「新宿」… と遊び歩いたようなものかもしれない。 それと悲しいけど、歳をとったっていうのもある。 若い頃は、刺激と騒音にまみれたいものでしょう、やっぱり。 人が多くて混雑してる所に吸い込まれたいっ!という訳のわからない欲望に 突き動かされて、毎夜毎夜フラフラと、バーやクラブで夜通し騒ぐ毎日。 そんなことが、もう、楽しくてしかたがないっていう時期も確かにあった。 (今でもたまにあるけど…、ホントたまにです。)
可愛い服やセンスの良い小物の店、もの凄い量の土産物屋、そして相変わらず インチキ臭い怪しい店も健在だ。ただし、人と車の数は、グッと少ない。 これからハイ・シーズンになるにつれ、人は増えていくのだろうけど、 今のところ、店のおばちゃんや兄ちゃんは、かなり暇そうである。 夜10時過ぎると、ほとんど人もまばら…。一人歩きが不安になるくらいだ。 あの毎夜毎夜の乱痴気騒ぎがウソのように静かで、ちょっと寂しい。
それでも、唯一、変わらない賑わいを見せているのがクタ&レギャン・ビーチ。 この近辺にステイしている人が、皆、ここに集まってたのか? っていうぐらい 相変わらずの賑わいだった。 ビーチ・ブレイクで波乗り出来るこのビーチには、サーファーの数も多い。 そしていつも大体混んでいる! 初心者も多いけど、上手いローカルも多い。 街が空いてるから、てっきり海も空いてると思ったら、仕事にあぶれて暇な ローカルが、いっせいに海に溢れていて、いつも以上の混雑振りだった。 ただし今の時期は、サンド・バーがいまいち固まってないみたいだ。 コンテストが開かれることで有名な「ハーフ・ウェイ」以外は、波はダンパー気味。 昔は、怪しくどこからともなく現れて、「サーフ・ボードいらない?」と誘っては ボロボロの中古の板を持ってきてた「サーフ・ボード屋」も、今では立派な店構え。 相変わらずボロい板だけど…(笑)。
それにしても、バリニーズは逞しい。 「テロの後、BALIは終わったよ。」と、語るバリニーズの顔はすでに笑顔である。 ビーチの物売りのおばちゃんも相変わらず元気で明るい。 「あなた〜! (声のトーンが上がるのが特徴)ミチュアミィ〜!」 「マッサ〜ジ〜!」と、いつもの掛け声が懐かしい。 「テロで私の生活大変よ〜!」と、この期に及んで、テロ事件を セールス・トークにおりまぜる事も忘れない。
あの忌まわしい事件から10ヶ月経って、少し落ち着いたのか(?)、それとも “すべてを受け入れていく” という彼らの特性なのか… ?
変わらず、なんだかホッとした。 加速し過ぎていた感の島の スピードも、今はとりあえず、 ストップがかかっているように 感じられる。 そしてそんな姿に、どこかで安心 している自分を発見してしまうのだ。 テロの直後にバリニーズの友達から来たメールが忘れられない。 彼らは、恐怖や怒りに震えるでもなく、テロリストを責めるわけでもなく、 ただ一言、こう言った。 「これからも、また、皆バリ島に来てくれるよね?」 世界中で、バリニーズほどやさしく、友情に溢れる人種には会ったことがない。 そしてこんなに多様で面白い島にも…。 “勿論、行くよ!こんなBAGUS(バグース)な島だもの!!”
八松君とサブちゃんの登場だ! 「旅に出ている間に遊びにいくよ。」 そう言いつつ、月日は流れ、 遂に、バリ島で合流できた。 波乗り三昧を決め込んで来た2人。 楽しい日々になりそうだ。 珍しく “時間の止まった” バリ島… 。 考えてみれば、こんな時もそう無いのかもしれない。 |