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Vol.107 『近年BALI事情』
 2003年8月9日

“旅をする”ということは、ある意味、“外の異空間に浸る”ということ。
そんな中で大事な要素は、やはり『治安』の良さだろう。
過去知っていた国の中で、バリ島ほど『治安』の良い島は無かったと思う。

昔から、人々が“楽園”を求めて集まるのは自然の摂理。
“昔は良かった…。”そんな年寄りじみた回顧主義に浸る暇もないほど、
バリ島の変化のスピードは凄まじかった。

世界各地から直行便が飛び交い、毎日膨大な数の人が訪れて、
どこまでも拡大していく「店」や「宿」、「高級リゾート」や「スパ」… etc。
3ヶ月も行かないでいると、その変化に驚かされる日々だった。

その反面、今だ昔からの宗教観や文化や風習が残っている島でもあり、
多大な変化はしていくものの、それはあくまでバリっぽさを残しつつ、
どこまでも突き進んでいったのである。“一体どこまでいくのだろう?”という
不安をよそに、奇跡的にどこまでも広がっていく街。
そしてそれを受け入れ、変化し続けた島の人々。

そんな奇跡の島を襲ったテロ事件。

去年の10月のことだから、まだまだ記憶に新しい。事件のあった当時、
我々はコスタリカに滞在していたので、インターネットでそのことを知り、
「よりによって何故バリ島に!?」と、衝撃を受けたのを憶えている。


「SARI CLUB」跡。

テロの跡地には、こんな
メッセージ・Tシャツが…。

久しぶりに訪れたクタは閑散としていた。
もっとも私自身、ここ5、6年はあまりの混雑振りに、ご飯を食べに行く以外は、
ほとんど足を踏み入れていなかった場所である。それにしても… !?
一時期の人込みや喧騒は、すっかりなくなり、街はガラガラ。

クロボカンに新しい店や、ヴィラが出来ているくらいで、クタだけではなく、
島全体の観光客の数も激変していた。ヌサドゥアの「グランド・ミラージュ」も
閉館してしまったし、店を持続できないで困っている人も多い。
ガソリンも電気代も値上がりして、一般のバリニーズは食べていくのがやっとだ。

外国人を笑顔と友情で受け入れ続けたバリニーズ、
「観光」と共に成長していたバリ島に、この事件が与えた打撃ははかりしれない。
遅ればせながら、多くの友人から当時の状況を聞けば聞くほど、
テロという名の暴力に、行き場のない悲しみと怒りを感じる。
事故で亡くなわれた方には、心から御冥福をお祈りします。


レギャン通り
サーファー・ガール
女の子のアイテム充実!
「Surfer Girl」

初めてバリ島に来た頃、よく遊んだクタレギャンスミニャック
当時は信号も無く道も悪かったが、真っ暗闇のジャングルの様な島の中に、
まるで学園祭レベルの可愛い夜店が点在していて、毎日が夏祭り状態!
“こんな場所があるなんて!”と、ワクワク、ドキドキ、本当に興奮したものだ。

“真っ暗闇の緑生い茂る中、ビーチに向かって、ガタガタ道をひたすら車で走る。
 「本当にここだっけ?」と、ちょっと不安になる頃、遠くに怪しい灯りが見えると
 そこがダブルシックス(今もビーチ沿いに建つオープン・エアのクラブ)。
 深夜1:00以降から、徐々にお洒落な人々で盛り上げっていくクラブ。
 踊りつかれてホールを出ると、目の前はビーチ…。” 
そんな時代だった。

まだまだ田舎で、ちょっと横道にそれると、ローカルな人々の静かな暮らしが
垣間見れたし、ホッとするスペースも多かったように思う。
それでも、その頃出会ったクタのローカルは、すでに「昔のクタ・ビーチには亀が
来ていたんだよ。」
と懐かしそうに語っていたし、当時の変貌振りについて、
「クタにはもう神様いなくなっちゃったみたい。お金が入っちゃったからね。
 神様、お金になっちゃった…。」
と嘆いていたのを思い出す。

私自身は、ある時期から、クタ方面には、ぱったり行かなくなってしまった。
車の渋滞にも辟易したし、「人」と「記号」のバランスが、完全にキャパ越えして
しまったのだ。正直言って、飽きてしまったんだと思う。
それはちょうど田舎から東京に初めて出てきた頃、物珍しさで、暇さえあれば、
「渋谷」 「原宿」 「新宿」… と遊び歩いたようなものかもしれない。

それと悲しいけど、歳をとったっていうのもある。
若い頃は、刺激と騒音にまみれたいものでしょう、やっぱり。
人が多くて混雑してる所に吸い込まれたいっ!という訳のわからない欲望に
突き動かされて、毎夜毎夜フラフラと、バーやクラブで夜通し騒ぐ毎日。
そんなことが、もう、楽しくてしかたがないっていう時期も確かにあった。
(今でもたまにあるけど…、ホントたまにです。)
なんちゃってPRADA
堂々とこんな店出すのもバリならでは?
もち、イミテーション。


カタカナ英語

ここまで書くなら、日本語で書けよ〜!

可愛い服やセンスの良い小物の店、もの凄い量の土産物屋、そして相変わらず
インチキ臭い怪しい店も健在だ。ただし、人と車の数は、グッと少ない。
これからハイ・シーズンになるにつれ、人は増えていくのだろうけど、
今のところ、店のおばちゃんや兄ちゃんは、かなり暇そうである。

夜10時過ぎると、ほとんど人もまばら…。一人歩きが不安になるくらいだ。
あの毎夜毎夜の乱痴気騒ぎがウソのように静かで、ちょっと寂しい。

休憩中…
日中の陽射しはきつい。
木陰にたむろう人々。
ボードレンタル屋
サーフボードレンタル屋ラッシュ。

それでも、唯一、変わらない賑わいを見せているのがクタ&レギャン・ビーチ
この近辺にステイしている人が、皆、ここに集まってたのか? っていうぐらい
相変わらずの賑わいだった。

ビーチ・ブレイクで波乗り出来るこのビーチには、サーファーの数も多い。
そしていつも大体混んでいる! 初心者も多いけど、上手いローカルも多い。
街が空いてるから、てっきり海も空いてると思ったら、仕事にあぶれて暇な
ローカルが、いっせいに海に溢れていて、いつも以上の混雑振りだった。

ただし今の時期は、サンド・バーがいまいち固まってないみたいだ。
コンテストが開かれることで有名な「ハーフ・ウェイ」以外は、波はダンパー気味。
昔は、怪しくどこからともなく現れて、「サーフ・ボードいらない?」と誘っては
ボロボロの中古の板を持ってきてた「サーフ・ボード屋」も、今では立派な店構え。
相変わらずボロい板だけど…(笑)。

アイスクリーム売り
海を見てたそがれる
アイスクリーム屋のおじさん。
吹き矢を売るおじさん
毎回、“何故ビーチでそんなもんを?”
と思う吹き矢売り。
でも以外と買う人は多いのだ。

それにしても、バリニーズは逞しい。
「テロの後、BALIは終わったよ。」と、語るバリニーズの顔はすでに笑顔である。
ビーチの物売りのおばちゃんも相変わらず元気で明るい。
「あなた〜! (声のトーンが上がるのが特徴)ミチュアミィ〜!」
「マッサ〜ジ〜!」と、いつもの掛け声が懐かしい。
「テロで私の生活大変よ〜!」と、この期に及んで、テロ事件を
セールス・トークにおりまぜる事も忘れない。

物売りおばさん
マッサージや物売りのおばさん達に
取り囲まれてる人。
ボードを運ぶ人
今日の商売も終わり?それにしても、
凄い数、運んでるなぁ(笑)。

あの忌まわしい事件から10ヶ月経って、少し落ち着いたのか(?)、それとも
“すべてを受け入れていく” という彼らの特性なのか… ?
夕日
サンセット・タイム。
元来のんびりとした彼らのペースは
変わらず、なんだかホッとした。

加速し過ぎていた感の島の
スピードも、今はとりあえず、
ストップがかかっているように
感じられる。
そしてそんな姿に、どこかで安心
している自分を発見してしまうのだ。

テロの直後にバリニーズの友達から来たメールが忘れられない。
彼らは、恐怖や怒りに震えるでもなく、テロリストを責めるわけでもなく、
ただ一言、こう言った。
「これからも、また、皆バリ島に来てくれるよね?」

世界中で、バリニーズほどやさしく、友情に溢れる人種には会ったことがない。
そしてこんなに多様で面白い島にも…。

“勿論、行くよ!こんなBAGUS(バグース)な島だもの!!”

サブちゃん&八松君
バリ登場!! 左から八松君とサブちゃん。
そんな中、待ち人来る!
八松君とサブちゃんの登場だ!
「旅に出ている間に遊びにいくよ。」
そう言いつつ、月日は流れ、
遂に、バリ島で合流できた。

波乗り三昧を決め込んで来た2人。
楽しい日々になりそうだ。

珍しく “時間の止まった” バリ島… 。
考えてみれば、こんな時もそう無いのかもしれない。

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