Vol.110 『Art in BALI』 2003年8月27日 “後悔先に立たず”。 よく言ったもんである。 この諺を作った昔の人が偉かったのか? それとも、人間ちょっとやそっとじゃそんなに進化しないもんなのか…? なまじ何年も人間やってると、あの時こうすればよかった、もしくは、 こうしなければよかった、などという事柄の1つや2つはあるものだ。 まして日常的なレベルなら多々あること。 “後悔”というのは何か事が起きて、改めて振り返った時のみに感じる事で、 始める時には想像すら出来ないものである。だから、何か起きてしまっても、 それは“あきらめ”という名の良識で、ジワジワと、忘れ去られいくしかないのだ。 その昔、ジェリー・ロペス氏の講演会に行ったことがある。 彼のスピーチは意外に饒舌で面白かった。その中で特に印象に残ったフレーズは、 「僕にはロペス・ルール呼んでいるものがあって、まずその1は、 “セットの最初の波には絶対乗るな”というものです。」というものだった。 えっ、何言ってるかって??
ひっきりなしにやってくるセットを 眺めながら、なんとか沖に出て 最初のセットに乗った女が おりましたとさ。そのセットは なかなか崩れず、あれよあれよ とい間にショア・ブレイクとなり、 思いっきりビーチに叩きつけられて しまったのでありました。 「・ ・ ・ ・ う〜〜っ ・ ・ ・ 。」 軋む体でよろよろと海から上がる時には、頭の中には、くだんのロペス氏の フレーズ(レベルは全然違うけど)が鳴り響いていた…。 それから1週間。肋骨にヒビ&打撲で、身動きとれない女が一人。 はい、それは私です(笑)。 国によっては、波乗り以外はな〜んにも出来ない、っていう場所もあるが、 その点、バリ島は、ウブドゥ行ったり、スパで憂さ晴らししたりといろいろ出来る。 そう思い、3日目に痛みが和らいだのをいいことに、調子に乗って外を動き回った のが裏目に出て、またズキズキ…。セキしても笑っても寝返り打っても痛い。 もう、いさぎよく何にもせず、ジーッとしておくしかない。 だからこの1週間、波乗りは当然お休みで療養中の身の上である。 アキヤンは、朝波乗り、午後からART制作の充実の日々だ。…羨ましい。 1920年代以降、バリ島には様々な外国人アーティストが訪れた。 もともとあったバリ絵画に異国のエッセンスが加わり、さらに魅力溢れるものと なっていったのは興味深い。そしてローカルと外国人アーティストのコラポレーションは、 現在も尚、続いている。 初期のヨーロッパのアーティストの中には、アトリエを開き、この地に定住する者も 多かった。その中の一人がAntonio Blancoだ。
バリニーズに愛されたブランコ。 残念ながら数年前に亡くなったが、 人嫌いでも有名だった。 話すと長くなるので省くが、 私はひょんなきっかけで、実は 生前彼に会ったことがあるのだ。 自宅に呼ばれ、お茶をご馳走に なり、アトリエにも遊びに行った。 いわゆる“変人”というか、 とにかくユニークな人であった。 ウブドゥにあるブランコ邸の傍に美術館が出来たと聞いて、最近、遊びに行った。 自宅の傍には巨大なド派手な建物が…。どうやらそれが美術館らしい。 スペイン調なのは、彼がスペイン人だったからなのだろう。 夕方行ったので、すでに閉館だったのだが、息子のマリオ氏が快く開けてくれた。
派手な内装の中にはブランコ氏の絵が、いい感じで飾ってある。 コラージュ系はともかく、ほとんどの彼の絵は、そのぶっ飛びの外見に似合わず 繊細で美しい。特に裸体が得意で、バリ・ダンサーだった美しい妻の絵を好んで 描いていた。それぞれの額もユニークで独創的。 そういえば、生前、彼のアトリエに遊びに行った時、ある絵の前で私がジッと 立ち止まって眺めていると、「その絵が好きなのかい?」と聞かれ、 失礼だとは思ったが、「いいえ、私はこの額が気に入ったのです。」と言ったら、 「素晴らしい!実は、私もこの額が一番気に入っているのだよ!」と、 子供のような満面の笑顔で答えてくれたのを思い出す。本当に面白い人だった。 息子のマリオ氏も、「父の思い出を、大好きだったこの場所になんとかして 残したかった」と語っていたが、ド派手な美術館も、なるほどブランコが生きていて もしこれを観たら、喜んでジョークの1つでも飛ばしたことだろう。 さて、それに触発されたかどうかは定かではないが、久々にアキヤンはART制作 に余念が無い。なんといっても、今まで移動が多く、画材もとぼしかったせいで ほとんどメゲ気味だったのだ。しかし、ここはバリ島。
奴が喜ぶのも不思議じゃない。 バリ在住8年目のKAORI。 ウルトラ元気な女の子。日本でも こんなに働いてる人はいないって いうくらい頑張ってる。 現在、靴屋&熱帯魚&etc と多角経営の 実業家驀進中。 アキヤンのマブダチ(?) そんな折、何かと頼りになるKAORIから、うれしい話が舞い込む。 「ART創りにバッチリの場所があるよ。」と紹介してくれたのが、彼女の 友人でもあるWAYU&SURI夫婦のファクトリー。
お土産物まで、ありとあらゆる 製品を製造している工場だ。 自らアーティストでもある オーナーのWAYUさんは、 奥さんのSURIさんと共に、 たくさんの従業員を抱えながら、 2人3脚で、ここを切り盛りしている。 各部屋では、従業員が忙しく それぞれの仕事に勤しんでいた。 オーナーのWAYUさんは、事情を聞くと、 快く仕事場を見せて説明してくれる。 日本の昔懐かしい工場の雰囲気だ。
仕事柄、竹や木材、鉄関係、布やビーズや、その他もろもろ…。 すべての素材の宝庫で、考えようによっては、ART制作に必要なものが なんでも揃っているわけで、夢のような場所なのである。 KAORIが「この人、日本人のアーティストだから。」と、前もって説明しておいて くれたおかげで話は早い。気のいいWAYUさんは、何かと相談に乗ってくれるし、 従業員である職人も大勢居るので、「この木をこの大きさに切ってくれ」とか、 「これを半分に切ってくれ」とか、「こんな大きさのサーフ・ボード作れるか?」 と、言いたい放題。 しかも、オーナー自ら動いてくれているのだから、従業員も皆親切にしてくれる。 なんと、工場の一角にアトリエ・スペースまで創ってもらった。至れり尽せりである。
しかし…、有名アーティストと期待されていた(?)にも関わらず、 やって来たのは、ゴム草履にバリニーズ以下のコ汚い格好した日本人だし、 おもむろに、彼らにとってはゴミ箱(布、木、鉄が捨ててある場所)を漁ってるし、 まったくもって、不思議な存在だったに違いない(笑)。 本当にお世話になりました。
こうして、素材もすべて揃い、 あとは創るだけ。 時間はたっぷりあるし、 思う存分、好きなことができる。 家の中をうろつく犬達に 邪魔されつつも、楽しそうである。 久しぶりに自分がアーティスト だったと思い出したようだ。 波乗りとARTの日々…。 家は閑静な住宅地なので夜は静かだ。自然に囲まれてるし、日が暮れたあとの 真っ暗闇の世界も、程よく篭れてちょうどいい。 考えてみれば、バリ島ほどART制作にぴったりの場所はないのだ。
本来、バリ語には「アーティスト」に当る言葉は無かったという。 現在当たり前のように使われている「アーティスト」という言葉は、外国人が この地に来るようになって、もたらされたものだ。 バリニーズの手先の器用さには驚かされることは多いが、彼らの前には、 素晴らしい絵画や彫刻、踊りや音楽も、本来は、すべて『神』と一体となって、 それに通じるものとして、日常生活の中にごく自然に存在していた。 言葉の要らない世界。 考えてみたら、それは、ARTの本質そのものではないか? 人間は生まれつきアーティスト…。 ここバリ島は、それが自然に感じられる場所である。 |