Vol.86 『Coffee Bay』
 2003年3月10日

南アフリカという国の中で、人種の
子供達
学校帰りの子供達。
ポーズをとる姿がカワイイ!
大多数を占めるのはもちろん黒人だ。
その他、黒人と白人&アジア人との
ハーフである「カラード」と呼ばれる人種、
そして白人(一部 世界でも最高の生活
水準を誇る)、意外とインド系移民の数も
多い。

これら様々な“人種のルツボ”の中に、
世界中からの観光客が紛れ込んでいる。
いまだアパルトヘイトの影を残しながらも、
確かに“新しい国づくり”を目指して走り出して
いる感じだ。その証拠に子供達の笑顔は明るい。

“この国のことをもっと知りたい”。
もともと波乗りを目指して南アフリカ入りをしたのだが、しばらくいるうちに、
気になることが増えてきた。例えば、J-Bayは白人主体のサーフ・シティだ。
町で普通に働く黒人の姿も見かけるが、その反面、用もなくウロウロしたり、
その辺に座り込んでる黒人もいる。たまに物乞いする者もいる。

治安の良い町だったしので別に恐いとかいうのはないが、最初はビックリした。
特に子供で寄ってくるのは全員物乞いの為である。
インドのように集団ではなく、1人か2人だし、彼らは町の中心にしか居ないから、
1日のうちに会うのが1回くらいで、不快なほどではない。
短い滞在なら印象に残らないかもしれないと思う。
彼らが町中に住んでいる気配はなかったので、どこか遠くから“出稼ぎ”のように
通ってきていたのかもしれない。

ある日、朝方に滞在先のベルが鳴り、ドアを開けたら子供が2人いて、
(アフリカーンスでただでさえ何をしゃべっているかわからないのに、“マネー”
というフレーズが出てきて、ようやく物乞いだとわかった。)『訪問物乞い』という
新手な手段に驚かされたこともある。

彼らは普通、ホテル等には玄関で追い出されるので入れない。
きっとその時の我々の家がローカルの1軒屋に見えたのだろう。

ということは、ローカルはそれが日常ということなのか…?

本当のところ南アフリカ黒人はどういう生活を送っているのだろう?
どれくらい貧しいのか? 幸せに生きている黒人はいないのか?
頭の中に「?」マークが無数に浮かぶ。実際はどうなんだぁ〜〜??

そんな頃、『ホームランド』という単語をよく聞くようになった。

これはアパルトヘイト政策の1部で、黒人各民族を10の部族に分け、
表向きは「独立国」という名のもとに、何の経済力も産業もない土地に
黒人を隔離するというもの。Transkei(トランスカイ)もその中の1つである。
アパルトヘイト体制崩壊後、それら「独立国」は消滅したが、そこに住む人々は、
いまだ伝統と週間を守って生活しているという。

特に「Wild Coast」と呼ばれる海岸線には、昔からXhosa(コーサ族)
住んでいることで有名な場所。最近でこそバック・パッカーや旅行者に人気が
出てきたものの、不便な場所がら未知の世界が広がっていると噂だ。

「Wild Coast」は川や入り江で分断されているので車での縦断は無理。
「Port St Johns」から「Coffee Bay」まで歩くと丸5日かかるという。
もちろん我々にはそんな根性は無い。
最寄の町「Umtata」に出て、再び海岸線を目指すことにする。
目的地の「Coffee Bay(コーヒー・ベイ)」まで3時間程のドライブだ。

その村は、村というにはあまりにも小さいらしく、
スーパーマーケットや店の類は 一切、存在しないと聞いていた。
インターネットはおろか、電気も水道もガスも無い村らしいのだ。
一体、どれほどの田舎かなのか想像もつかない。
途中、「Umatata」で死なない程度の食料を買い込んでGO!

道
道行く人々。思わず、
「一体どこまで行くの?」と聞きたくなる。

周りの景色はパノラマ・サイズ。
山のような丘のような(?)
景色がどこまでも広がる。
途中、見かける学校帰りの子供達。
当然帰宅中なのだろうが、
辺りを見回しても家は見えず。
遥か彼方の丘の上に家が点在
しているだけ。まさかあんな所
まで歩くのか…?と心配になる。

でも、きっとそうなのだ…。南アフリカはやはりアフリカ大陸の一部、
土地が余っているせいなのか(?)、とんでもなく広い空間に町や村が点在
していて、人々の生活空間は異常に広い。

それにしても「Coffee Bay」は名前で得してると思う。(だって、他にも
「Bacon Bay」とか多々あるけど別に行きたいと思わないもの。響きって大事だ。)
名前の由来は、その昔、コーヒー豆を積んだ船が沈没したとかしないとか…。

Coffee Bay
Coffee Bay
家
Xhosaの家。

村が近づくにつれ、円筒形の藁葺屋根の家がポツリ、ポツリと見えてくる。
Xhosaの家だ。道行く人も圧倒的に黒人が多くなった。
ようやく“アフリカに来た”という実感が湧いてくる。
高い崖、川、砂浜、海…。

村には宿が、B&Bホテルが2軒、バック・パッカーズが2軒あるだけだった。
当初バッグ・パッカーズに泊まるつもりだったのに、なんと、2軒とも一杯!!
選択の余地なく老舗のB&Bホテル「Ocean View Hotel」に泊まることに…。

ホテル
我々の泊まった 「11」号室。
ここだけ内装が全然違う!
ホテル
バルコニーより。
サーフ・ポイントは目の前。

今はスウィート・ルームしか空いてないと言われ通された部屋。
立派なちゃんとしたホテルの部屋だ。しかも、値段は他の部屋と同じ!?
ちゃんとしたコースのおいしい食事付で1泊2人で7500円。
しかもサーフ・ポイントは目の前だ。これはこれで快適だし全然OK!

ホテルのフロントにパソコンが1台あったので、メール・チエックは出来るか?
と聞くと、天文学的に遅いので止めた方が良いと言われる。
一度トライしたが、確かに発狂するか?と思うくらい遅かった。
(しかも文字化けして読めない!)それでは郵便は出せるか?と聞いてみたところ、
この村では出せないとの答え。もう、潔く正しく何も出来ない。

ここではボーッとするか、海に入るか?である。
もちろん我々は早速波乗りに出かけた。
目の前に見えたはずのポイントも、実際に歩くとかなり遠い。
アフリカにありがちな目の誤差か?(視界が広〜いので距離感が麻痺する)
水はやや冷たいものの、J-Bayよりはかなり暖かい。

ここまで来ると、サーファーの数は極端に少なくなる。
海に人が入ってない方が圧倒的に多く、たまに見かけても1人か2人だ。
海の視界も広〜く、2人で入っていても、互いに見失ってしまいそうである。

混んでる海も困るけど、誰も入ってないのもちょっと恐い。
ビーチも海もだだっ広いので尚更そう感じるのかもしれない。
その代わり波は乗り放題だ。しばらくここでのんびりしてみることにする。


頭に籠を乗っけて歩く
女性の姿もよく見かける。
水牛
村は極めてのどか…。
川で水浴びする水牛。

さて、快適ホテル滞在は良かったのだが、おかげで我々には困った問題が
発生した。自炊するつもりで買い込んできた食材である。
B&Bホテルは完全食事付! 日に日に痛んでくる食材は悩みの種となっていった。

困った我々は、“そうだ!バック・パッカーズに売りに行こう!”と思いつく。
手元には6000円相当の食糧がある。こんなに何にも買えない所だし、
全部ひとまとめで500円くらいなら買い手は引く手あまたに違いない。
「善は急げ」とばかりに、バック・パッカーズに向かったのであった。

ところが…、2軒のバック・パッカーズの宿泊者には思ったように買い手が
つかない。よくよく考えてみれば、これだけ不便な場所に来る者達だ。
自分達の食料くらい計算してちゃんと買い込んできているのがほとんどなのだ。

いろんな人が寄ってくるも、「トマトだけなら欲しい」とか、「パンだけなら
あの子が買うと思う」
と、こちらとしてはすべて売っぱらってスッキリしたいのに、
いちいちバラ売りするのも面倒くさい。そのうち、ナイロン袋の包みを持って、
あっちにフラフラ、こっちにフラフラするのにも疲れてきた。
なんだか行商人の気分である。

しまいには、可哀想に思ったバッパーの女性が、「ここにしばらく置いといたら?
そしたら毎日売れたものチェックできるじゃない?」
と言われる始末。
別にここまで物売りに来たわけじゃないんだけどなぁ…。

しょうがない!こうなったら全部誰かにあげちゃおう!と、
宿泊客を捕まえてはあげようとするのだが、ワザとのように皆、明日か明後日に
出発する者が多く、あげるのも迷惑といった感じ。う〜ん困った困った。

この際、もったいないけどどこかに捨てちゃうか?とも考えたが、
驚いたことに、この村には店も無いけどゴミ箱も無いのだ!!
物が無いせいか道にゴミ1つ落ちてない。捨てるのもままならないのである。

ほとほと困り果てた我々…。
ガクリとうなだれながらホテルへの道のりを帰っていた。その時のことだ。
向こうから子供達の姿が見えた。どうやらXhosa族の子供達らしい。
目が会うとニコリと笑って手を振ってくれる。

「?!」 脳みその中にある考えが走る!
「この子達にあげたらダメかなぁ…。」 2人ともほとんど同時につぶやいた。
誰にも貰われず、部屋でこのまま朽ちていく運命のこの食材。
この子達なら喜んで貰ってくれるかも…??

立ち止まって、「ハ〜イ。」と声をかけて見ると、向こうも立ち止まる。
おずおずと袋の中身を見せて、「これ、欲しい?」と聞いてみた途端!
子供達の顔がパァ〜と明るく輝いたかと思うやいなや、
もの凄い勢いで殺到してきたのだ!!驚いて荷物を落としてしまうと、
0.5秒くらいの間にすべての食材は跡形も無く消え去っていた…(ボー然)…。

子供達
Xhosaの子供達。
ようやくハッと我に返り、
「えーっと… そしたら写真でも
 撮ろうかなぁ…」

とカメラを出した頃には、用のなくなった
子供達はすでにスタスタと歩き始める。
なんかクールなのネ…。

こうして悩みの種だったすべての食材が
無くなり、異常にスッキリした我々。
まるで長い便秘から開放されたのごとく、
さわやかな気分に包まれる。

それにしても、思ってもみない形で無くなった食材達。
あげてよかったのか、悪かったのか…?
でもあの輝く笑顔を見た時に、つい、なんていうのかなぁ…、
“この地球上で最もあげたい物がある人と、最もそれを欲しがってる人”とが、
奇跡的に出会った瞬間!という気がしてしまったのである。

“理想的な需要と供給”に見えたこの行為。
さぁ、良かったのかダメだったのかっ?!
その答えは、しばらくして明らかになったのであった。

(続きは、BE COOL #13で…)

PREV  NEXT

BACK